十歳になってちょっと体力がつき、どうにか普通の暮らしができるようになってから、何となく人伝(ひとづて)に産みの母を教えてもらったが、素直に受け入れられなかった。
逢いたかった。けれど時機を逸してしまったような感じだった。
母には母の事情があったのかもしれないが、その頃の彼にはそんなことは理解できなくて、母子は妙に行き違ってしまったままだ。普段もなるべく母と顔を合わさないようにしているし、向こうもそうしているような気がする。
だが、憎しみという気持ちはさらさらなかった。母と問われて沸き上がるこの切なさは、やはり思慕の念なのであろうと彼は思った。
「さあどうなのでしょうか。あまり深く考えたこともありませんし、特に問題もなく過ごしてまいりましたが」
イダには適当に答えておいたが、それ以上をイダが聞いてこなかったのは有り難かった。
「ところでお前は何か薬を持ってはおらんのか? 普段用いておった薬とか」
「普段の、というのではありませんが、どうにもならなくなった時には飲めと、村で調合された丸薬を持たされております。そうなった時にどうやって自分で飲めばよいのかわかりませんが」
それを聞いて、イダの黒炭のような小さな目が輝いた。
「今も持っておるならちょっと見せてくれぬか」
シルヴィア・ガブリエルは脱いだ上着の裏から小さな布袋を取り出すと、それをイダに渡した。イダは袋の口を開けると、ひしゃげた低い鼻を突っ込み匂いを嗅いだ。
それから小さく固められた丸薬を一粒つまみ出してしげしげと眺めた。次に机の上に雑多に載せられた物の中から乳鉢を取ってきてその中に入れ磨(す)りつぶし始めたので、シルヴィア・ガブリエルは青くなって慌てて制した。