第二部 伝えたい幸福の道しるべ16の事柄
いざって時には全力を尽くそう。見栄っ張り、意地っ張り、くそったれを見るから。
まさしく私が自爆したから話すのだが、完璧を求めていく、理想を追いかけることは時に心を自傷してしまうこと、誰かを他害してしまうことにつながると実感した。
結婚当初、夫に「男性が稼いで女性は専業主婦なんてのはない」と言われて、承認欲求や所属欲求スイッチが入ったのかもしれない。「いい妻でありたい」「家事、育児、 仕事すべてオッケーな母さんでありたい」という承認欲求。ただ、この時は気づかなかったが、 承認欲求が強ければ強いほど私を完璧主義者に仕向けて息が抜けなくなっていった。
夫の理想に近づけるために、働いて、家事をして、育児をし、仕事に差し支えないように次男が生まれてから飲酒はなくなり、私の家庭内での役割は、ほぼ母のゼロ妻だった。
時が経つにつれて、私は家庭と仕事を両立させようとひどく気を張る生活をしていた。それが息の詰まる家庭にしていたのかもしれない。家族の息が詰まっていたか詰まらなかたったかは私には判断はできないことだが、そういったどこかおかしな雰囲気を感じていたと思う。
しかし、私は無意識に鈍感な振りをしていたのかもしれない。そして、次男の生い立ちを 含めて気の張り方がますます増したなかで、毎日、良い妻、良い母さんがわからず、焦燥感、不安感でいっぱいだった。
真面目に生きてきた。まっすぐ前を見てがむしゃらだった。真正面に立ちはだかる壁を砕いたり、這い上がって乗り越えてきた。それは誰かの人生に重ねて誰かに私の力量や熱量をひたすらぶつけては、相手の心を傷つけていたのかもしれない。本当に真剣に生きてきた。
お腹すいた〜と無邪気な子どもに腹が立ったこともある。お腹がすいたなら残さず食べてほしいものだ。子どもに働いて得た食事を大切にしてくれと押し付けた。子どもは大人の事情なんてわからない。子どもにだって大人が決めた食事を食べたくない日もきっとあるのに。色々な角度から自分の全力が時に相手を追い込む形にもなる。