相手に対しての理想もあり、私の熱意もあり、すれ違う。その場合は、熱心になってほしい人を待つ側に立つのも訓練だと感じた。子どもも同じ。いつか自分で働いてみればおにぎりの価値がわかるのかもわからない。お小遣いで、お菓子を買ってみても、またお小遣いがもらえるようではお金の価値がわかるかどうか。子ども次第なのだ。
熱心になれるのはとても大切なことではあるが、受験に合格しなければ人生が終わるというのは自分が決めたプレッシャー。成績が悪かったら親に叱られるというのは他者が与えたプレッシャー。害をなさないわけではない。
時にその熱心な全力が、精神を壊す場合もある。壊れそうなときは、毎日熱心にならなくてもいい。要所要所で熱心にいこう。オーバーフローしない程度に、そんな自傷行為はしなくていいのだ。オンオフでいこう。全力もたまにはいいが無理しているといつかただの見栄になる。
頑張りますと言うものの状況は変化するもの。あの時は頑張れた。頑張っているときはアドレナリンも出て興奮がやる気だけを突き動かしているかもしれない。やる気はあるんだけど、息があがる試合のよう。
やる気はある。やりたいとは思う。だけど身はひとつだから。あなたの代わりも私の代わりもたくさんいる。そんなわけがない。私の役目は私が作り上げたもの。誰もしなさいと強制的に宿題が出されているわけではない。あくまで生きていたら自己研鑽だ。
マスターしていても初心に戻る。子育ても1年生のまま。来年になったら育児歴は2年目でも、2年目には、1歳年をとった子どもを見るのは初めてのこと。いつまでもベテランではないからいつも初心を忘れずに毎日新築と同じ。
住まいには感謝して掃除をする。見栄を張ってお母さんを演じなくていいし、嫁をしなくてもいい。見栄を張って介護ができるわけでもない。在宅医療を知り得ていても対象者の夫は初めてだし、育児と家事と仕事の両立の最中に様変わりはする。だから見栄は張らない。できないことを補っている。
家族のケアの一つに介護を優先はできないからショートステイを挟み育児や仕事を優先する。お父さんに話しかけ、子どもの宿題を見て、団らんのためにリビングでのひとときを優先する。病院に行かねばならないから通院を優先する。
【前回の記事を読む】夫が首の骨を折った時もなんで私ばっかり苦労しなきゃならないの、と毎日思った。しかし損はしていない。私だから訪れた現実。