第一章 強腕・藤原百川の策略

「これはまずい」

皇后の思いどおりになれば、百川の努力も無駄になり、藤原氏は、せっかくの権勢も失って天皇も再び天武系に戻ってしまいます。

そして他戸親王を支えていた北家の藤原永手(ふじわらながて)が亡くなると、彼は権力維持と天武系の皇位継承を防ぐため、皇后と他戸皇太子母子の抹殺を考えました。

そこに起きたのが皇后の巫蠱(ふこ)(種々の悪虫を一つの容器の中に入れて互いに共食いさせ、生き残った一匹の蠱毒(こどく)を相手に飲ませたり、相手の家の敷地に埋めたりして、相手を死に追いやる呪い)事件です。

百川が密かに皇后の動静を探ると、彼女は呪物(まじもの)を井戸に入れ、光仁帝の命を縮めて他戸親王を早く即位させようとしていたというのです。

平安期には、敵を貶(おとし)める手段に、魘魅(えんみ)、髑髏(どくろ)などの蠱物(まじないもの)を相手の屋敷に置く方法が流行っていました。

ところが今回は、百川などによる井上内親王追い落としの陰謀の感が強く、内親王は怒髪(どはつ)天を衝(つ)かんばかりの勢い、「吐(ぬ)かせ百川! 妾(わらわ)を侮るでないぞ、おのれらごとき、早くくたばってしまえばよいのじゃ」と眉を逆立て、大層な雑言を浴びせたと『水鏡』は伝えていて、結果、宝亀三年(772)に皇后、皇太子母子は廃され、翌年には宇智(現奈良県五條市)に放逐となり、二年後、井上内親王は現身(うつしみ)の白龍(はくりゅう)に姿を変え、他戸親王と共に薨去(こうきょ)されたのです。

後になると二人の怨念が平城京を恐怖に陥れることになります。きっと百川は、あの賭け事の際の山部王の件もちらつかせて皇后を脅迫したのでしょう。

更に、『水鏡』は井上親子が無念の死を遂げた後のことを次のように伝えています。【図2】

図2.龍になった内親王