そんな奇妙な夢を、以来私は隠し持つようになった。いたずらな実験、というほどの思いつきで。行動に移すつもりはもちろんなかったけれど。気がつけばそれほどまで私の心には、無常の風がぼうぼうと吹き渡っていたらしい。私はなぜ、そしていつから、『自分にしかできない何か』を追うことを忘れ、捨ててしまったのか……?

このままではいけない、生活に埋没し、消耗し、虚しく老いていくのみ。何かを変えたい、今変えなければ、本当に納得のいく人生を送ることは、もはやできないかもしれない。そう心の奥が途方に暮れていた。しかし仕事と家庭を持つ身に、そんな悠長な時間などあるはずがない。今はマイホームに引っ越すのがなによりの専権事項である。私は日記帳を途中で閉じ、荷物整理に取り掛かるのだった。

そしてその数年後、日本を、世界を、新型コロナウィルスが襲った。幸い私も家族も今のところ感染してはいないけれど、私は深く考えざるを得なかった。世を見渡せば、懸命に変わろうとしている。コロナウィルスに席巻された世界は、ロックダウンなどによって感染押さえ込みを計り、日本も緊急事態宣言を発出し、学校は休校となり、企業では生き残りの方策を模索していた。テレワークを導入したり、飲食業はテイクアウト弁当を販売したりと、懸命だった。

世界や社会は単なる生き残りだけでなく、混乱を通じて生まれ変わりをも模索していると私に映った。私もまた会社の行く末に思いをはせつつ、生まれ変わろうにも身動きの取れない体となっている会社を心配するより、自分を建て直したい欲求が強くなった。それは、次の安定した就職先を探すという現実的な願いではなく、私の人生や世界観を再構築したいという欲求だ。気が付けば私は四十を過ぎ、人生の折り返し地点に来ているではないか。このまま終わるわけにはいかない。