「蒼斗、久しぶり。有希さんから伝言だ。10月7日16時にアラビリの丘で待っているって。ちゃんと伝えたからな。行けよ」
「あ、はい。分かりました」
そういえばこの時は、今どき連絡手段なんていくらでもあるのに、なぜ伝言なんだろうと違和感を持った。でも、何かのサプライズなのかなと少し期待もした。だから、当日は早く着きすぎないように時計をマメにチェックしたのだ。
到着すると有希が崖のほうを向いて立っていた。アラビリの丘は映画の撮影にもよく使われる。有希の先に見える海を見ながら綺麗な光景に心奪われた。
「やあ、有希。どうしたの?」
カモメが一羽横切る間(ま)を空けて有希が振り返る。そしてさらっとフルートみたいに言った。
「別れてほしい」
「え」
期待と真逆の内容に足が一瞬浮いた気がした。
「お願い」
ここまでの会話は鮮明に覚えている。その後、有希が聞き取れないほど小さな声で何かブツブツ言いながら、おぼつかない足どりで崖のほうへと歩いて行ったのだ。
「危ない!」
間一髪有希の手を掴む。手を離せば有希は崖下に真っ逆さまで、下手すると一緒に落ちそうだ。崖下で轟く波音を思い出し、あの時の嫌な心臓の音が蘇る――
「おい! 聞いているのか?」
声に驚く。有希の顔が警察官に変わる。警察官にこんな説明をしても納得してもらえるわけがない。首を軽く左右に振る。
「何か言ったらどうだ?」
俺は口を閉ざしているわけではない、本当に分からないのだ。
「とりあえず一旦切ろう。これだけ黙り込まれたら埒(らち)があかない」別の警察官が入ってくる。再び手錠をかけられ取調べが終わった。やっぱり俺は嫌なことがあると逃げてしまう。中学校の面談での先生の言葉を思い出した。
「蒼斗君はポジティブに言うと切り替えが上手だと思うよ。違うことにエネルギーを注いで落ち込み過ぎない。最近は落ち込み過ぎる生徒が多いから、それくらいでいいと思うよ」
ただ、警察署内での取調べとなると八方塞がりだ。また昨日のように「この悪夢はすぐ覚めるだろうか」と考えることくらいしかできない。
寝ようと思っても寝られない。ため息ばかりが出る。
【前回の記事を読む】「起きなさい」温かみのない冷たい声に起こされると、昨日までの生活はなくなっていた