独りになった彼は、四昼四夜飲まず食わずでそこに座り込み、夢のお告げを待たねばならない。夜は梟の鳴き声や獣の咆哮が不気味に木霊 (こだま)するが、そんなときでも心を平静に保っていなければ、お告げは姿を現してはくれない。死にそうになるか失神するかの頃になって、ようやく夢は彼らの元にやってきてくれるのだ。

忍耐と勇気が試されるこんなときでも、彼にはどこか呑気に構えているふしがあった。狼たちは遠くのほうで吠えていて、こちらまで来そうにない。多少近づいてきたとしても問題はないだろうと彼は思った。

狼はよほどの飢餓状態か勝算の見込みがない限り、人間を襲ったりしない。今年は木の実が豊作でリスが多い年なので、それを捕食するコヨーテや山猫も増え、狼たちはそれでお腹いっぱいで、今頃は岩の上で寝そべりながら、気の抜けたゲップでもしているところだろう。

襲われる危険は感じなかったが、空腹と喉の渇きが彼の意識を混濁させ、舌が腫れ上がり、手足が痺(しび)れた。流石(さすが)の彼も四日目ともなると、途方もない苦痛の海(彼は海を実際には見たことがなかったけれど、噂では知っていた)をあてどなく泳ぎ回っているような気持ちになった。

そこでは途中で止める権利など与えられず、人はただ溺れそうになりながら泳ぎ続けることを強いられる。

やがて視界が不鮮明になり、境界が消えた。光と緑が溶け合い、空と大地が抱き合った。優しく溶け合う濃淡の妙は、気を失いかけている彼の頬をそっと撫でるようで─そのうちに彼は、この美しさのなかでならもういつ死んでもいいような気になった。

ついさっきまで苦痛の海を泳いでいるようだったのに、今では言いようのない恍惚に浸りきって、もはやすべてをグレートスピリットとその自然に委ねることに、なんの苦痛も感じなくなっていた。

自分の前に現れたビジョンを、どんなふうに叔父に伝えればいいのか、彼にはわからなかった。迎えに来てくれた叔父について山を下りる時、彼は前を歩く叔父の、立ち上がった熊のように広い背中を眺めながら、当惑しきっていた。

予定では、彼もみんなと同じように自分の血筋にゆかりのある動物の精霊―彼の家の場合は熊だったし、友人たちの家はバッファローやイーグル、イタチ、お気の毒にサンダーバードのやつも一人いるが、そういうおおかた有難い精霊が現れて彼を導いてくれるか、そうでなければ徳の高い先祖の霊に出会って、予言を授かるはずだった。

ところが彼の前に現れたのは動物の姿をした精霊ではなく、先祖ですらなかったのだ。

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