村の起源を辿れば二世紀をさかのぼる。
初めは誰かの心に生じた強烈な妬み……だったのかもしれない。能力の優れた者に向かって吐きかけられた毒。だがそれは火がついたように人々の心に広がり、嵐のような狂気を生んだ。
人々は正気を失い、熱に浮かされたように、ともに暮らしてきた者たちを次々と指差し、刻印していった。
「あれは人ではない」
天体を観測して自然の現象を予告する天文学者や薬草の知識とその調合能力に長(た)けた産婆、精緻(せいち)で巧みな細工を施す彫金師、とうに親方の技を超えてしまった天才的な石工、果ては人並み外れて美しく生まれた娘に至るまで、その天賦(てんぷ)の才と能力と生来の資質が優れていた者たちにその狂気の矛先は向けられた。
謂(い)われのない罪を問われ、弁明の余地すら与えられなかった彼らは、その狂気と迷妄(めいもう)の牙から逃れるために魔境と恐れられていたギガロッシュに逃げ込んだのだった。
追っ手は来なかった。来るはずもない、まさに捨て鉢な逃避行であった。
だが他の道を選びようもなかった彼らの、生への執着に運が味方したのか、彼らは三日三晩ギガロッシュの岩の迷路を彷徨った挙げ句、ぽっかりと開けたこの肥沃(ひよく)な盆地に辿り着いたのであった。
そのような試練と奇跡をくぐって、この村は人知れずこの地に生まれ、二百年という年月を岩の向こうに匿(かくま)われ、めざましく発達したのだった。
ギガロッシュの迷路は早い段階で克服し地図も作られたが、彼らはその自然の城砦(じようさい)を自分たちの村を安全に隠し守るために好都合に利用した。少なくとも利用したつもりであった。
しかし、最初は自分たちの側から閉じた扉であったが、長い年月開けられることもなかったその扉が、今となっては逆に彼らをその中に封じ込めていた。