(三)武田賢治
刑事事件の法廷で、弁護士が弁護人として、証人席に立ち尋問を受ける被告人に対して、
「本当にあなたが、被害者を殺したんじゃないの」と聞いた。
「だから、俺はやってないって言ってるじゃないすか」
弁護人は、「でも、警察官と検察官の前では、あなたが被害者の腹を包丁で刺したって言ったって、調書に載ってるけど、それはどうして」
「だから、それは警察官や検察官があんまりしつこく、同じことばっかり繰り返すんで、めんどくさくなって、はいって言っちゃっただけっす」
武田は、法廷で一段高い位置にある裁判官席、その真ん中の裁判長の席の右側に座り、右陪席裁判官としてそれを聞いていたが、真剣にメモをとっているように見えたその手先は、被告人の似顔絵を描いていた。
あまりに信憑性のない被告人の証言に、武田ももう飽き飽きしていた。
しかし、だからといって、それを顔に出すわけにもいかず、弁護人にもう質問をやめろと言うわけにもいかず、時間をもてあましていた。
そんなとき、居眠りをしてしまう裁判官すらいるような状況ではあるが、武田は、一応真剣な表情を崩さず、しかもメモまでとっている風を見せていたので、弁護人も、尋問が成功していると勘違いして自分の尋問に酔いしれてきて、一層尋問に力が入っていた。
それがまた武田を飽きさせることになっていることに気づきもせず。
裁判を終えた武田は、裁判記録を持って自宅の官舎に戻ったが、その判決を書くのは早々に終えて、机の引き出しから原稿を出すと、絵を描き始めた。ただ、それは絵画ではなく、何と、漫画である。武田は、裁判官と漫画家のギャッパーであった。