日本にいながらにして一日十二時間以上の英語だけの生活が始まった。全くできなかったリスニングが知らず知らずのうちにできるようになっていき、彼らの言っていることが日本語と同じように耳に入ってくるようになっていった。

また彼らと接することで日々、日本とは違う他国の教育方針、文化を知った。自分自身は日本人であって、ネイティブにはなれないし、帰国子女なわけでもない。でも、だからこそ、留学経験もない日本人が日本語で、教科書では学べないネイティブの生きた本当に使える英語を、日本人に普及させていきたいなと思い、学校で自らも中高生、大人の生徒さんたちに教え始めた。

ところが面白いことが起きた。なぜか、未就学児の親御さんからのお問合せが相次ぐようになった。理由を聞くと、学校のホームページに載っていた校長のわたしの写真と自己紹介を見るとグリーンの光が見えて、吸い込まれるように、うちの子どもを連れていくので、ぜひ一度会ってほしいというのだ。しかも一件ではなく何件も何件も同じように。

よくわからないまま、学校に来ていただくと、その親御さんたちは子どもたちに英語を学んでほしいというわけではなく、わたしに面倒を見てほしいというのだ。

自分に何ができるだろうか。あれこれ考えた末、未就学児のための朝三時間限定のプリスクールを始めた。四時間を超えると保育士の資格を持って保育所という施設として行わないといけないらしく、それに抵触しないようにと考えた。

そしてその子どもたちにはある共通点があった。彼らはみな発達障害の傾向があった。ADHDや自閉症。その当時はわたしにはそういう知識は全くなかったが、強いこだわりがあったり、俗にいう、基本的なこと、例えば挨拶をする、とか手を洗う、などということが上手にできず、でもある特定の能力が突出していることがわかった。

どうしてもみんなは、「基本的なことができない」のほうにばかり着目してしまいがちで、突出している才能が埋もれてしまうようだが、わたしはそれを見逃さなかったし、それを見つけるのが得意だと思った。