「お母さん、見た?」

「見たわ。あれね、日向子の鯨よ」

「だけど、良かったね、鯨が来たね。おばあちゃんは会えたね」海は、来た時のように普通になった。それもあの時と同じ。

「あっ」

(そう言えば、藤井さんは?)

私は藤井奈々子さんがいた海岸の先の方をもう一度見た。だけど、人影は無くなっている。どこかに行ってしまった。

(どこに行ったの……?)

家に戻ってお母さんに確かめた。

「ねえ、藤井さんいたよね?」

「そうね……」

気になったから、藤井奈々子さんのあの電話番号に電話してもらった。 一連のお礼も言っておかなくちゃ。おばあちゃんの事も。お世話になったし。

電話をかけるお母さんが変な顔している。

「えっ、国立情報未来科学研究所じゃない?」

(ええ、こちらは違いますけど。東京図書館ですが)

「そんなはずは……。藤井さん、藤井奈々子さんをお願いしたいんですけど」

(フジイナナコ、ですか? そういう職員は居ませんが。番号は合ってますか?)お母さんが、何度も問いただすようなやり取りの電話を置いた。

「そういう職員は居ない」と言われたらしい。

(どうして……)

お母さんは番号を確認し何度かかけ直したが、国立情報未来科学研究所の藤井奈々子さんにはつながらなかった。インターネットで調べても研究所は無くなっている。

(それじゃあ藤井奈々子さんは?)

「日向子、あなただったの?」お母さんが小さくつぶやく。

仏壇には、幼かった頃の日向子さんの写真がおばあちゃんの写真のそばに置かれている。おばあちゃんの写真よりも古くてセピア色に滲みも出ている。

私は日向子さんの写真があったことも知らなかったのだけど、すました可愛いその女の子の写真はおばあちゃんの写真のすぐ横にある。二人とも元々穏やかな写真ではあるけれど、一瞬、お互いに向いて微笑んだような気がした。