オヤジが居ないのが当たり前に感じるようになってきていたのは、あれから半年ほどが経っていた頃だった。母親は、たまにテレビから聞こえてくる、「60~70代の男性の遺体が発見されました」というニュースにもビクビクしなくなっていた。

「お父さんはいまごろ何してるのかねぇ」なんていう冗談も言えるようになっている。時間の経過というのはすごいものだ。人の脳みそは、いつまでも辛く、悲しい記憶が続かないように徐々にその記憶を薄めてくれる。忘れるわけではないが、そのことを想っても泣いたり落ち込んだりしなくなる。

母親の動向を観察していると、その変化がとてもよく見て取れる。半年前、千葉さんから聞いた話を母親に言った時、「あたしだって旅行なんてどこにも行ってなかったのに!!」と顔を真っ赤にして取り乱していたことをオレは一生忘れないだろう。

そうなんだよな、やっぱりオヤジは母親に一言相談するべきだったんだ。そして、「一緒に長い旅に出かけよう」、と誘えば良かったんだ。そう言ったとしても、誰にも迷惑がかからないのだから。

朝から降っていた雨がすっかりあがり、気付くと雲一つない青空が広がっていた。暖簾を掛けに店の外に出た時、空のあまりに早い様変わりに驚いた。今日も商店街は賑わっている。「明来」にはいつも開店10分前から並ぶおじさんが、今日もいる。「開進亭」はいつも通りオープンした。

あわただしい昼の時間があっという間に過ぎ去った。午後2時、いつものように「明来」の宮下さんとタバコを吸いながら、「今日はどうだった」とお互いの営業報告をする時間だ。「明来」ではスタッフを一人雇っていて、この報告時間はそのスタッフに場を任せ、うちの店の厨房の出入り口の死角になった場所に来てくれるのだ。

今日もほんのり甘いコーヒーの香りを漂わせて宮下さんはやってきた。宮下さんは、ホテル時代から食後に提供するコーヒーは「モカ」と決めているそうだ。この商店街の「アマロコーヒー」でいつも仕入れている。

夕方になった頃、あまり見かけない姿格好をした男性が一人入ってきた。マスクとサングラスという「いかにも」な様相で。黒いワークパンツに焦げ茶色のジャケットと、なるべく目立たないように心掛けていると主張しているようなファッションのその男性は、カウンターに座るやいなや、チャーハンを頼んだ。

夕方のこの時間は、だんだんとお客さんが増えてくる頃だ。そしてその中には当然常連のお客さんも多い。微動だにせず着席していたその男性はマスクを外すと、丁寧にゆっくりとチャーハンを眺め、数秒の間、何か考え事をしているようだった。

そして動きがあった。両手を合わせ、軽く何かを呟き、レンゲで一口、二口、三口とテンポよくチャーハンを口に運ぶ。一旦、付け合わせの中華スープを啜り、再びチャーハンをさっきよりやや早いテンポで食べ進めている。チャーハンが好きな人の食べ方だ。瞬く間に皿の上のチャーハンは無くなってしまった。

呼吸を整えて、再び両手を合わせ、ぼそっと呟いた。そして次の瞬間、その男性はサングラスを外した。厨房で作業をしているように見せかけ、実際はこの男性の一挙一動を注視していたオレは、サングラスを外したその男性の顔を見て言葉を失った。

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次回更新は10月3日(木)、11時の予定です。

 

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