高校1年生の頃、好きになった女の子がいました。授業中も夜寝てからも、ちょっとした時に彼女のことを思い出します。ちょっと活発で可愛い子でした。テニス部に入っていて成績もいつも上位でした。クラスでも中心的な存在で目立つ子でした。1年生の時は、遠くで見ているだけでも幸せな気持ちでした。学年が変わると、彼女とは別々のクラスになりました。

私はバレーボール部に熱中していきました。部員が少なかったこともありますが顧問の先生もいていないような部活だったので、同級生や上級生も一目置くメンバーの二人が、練習メニューやメンバーのポジションを決めていました。

彼らは中学生の頃から同じ中学の同級生でした。部活で大活躍しバレーボールの名門校から特待生として誘われていたと聞いたことがあります。名門校でレギュラーを争うより部活を楽しみたいと、地元の高校を選んだと言っていました。顧問の先生は他校との練習試合の許可を学校から取る時と、対外試合の引率をしてもらう重要な存在でした。

レギュラーメンバーを組む時に、その二人が友達だった私をサブアタッカーに推してくれました。彼らの一人はもちろんエース、もう一人はセッターでキャプテンになっていました。そんなこともあって、中学生までと違って部活に熱中しました。

気になっていた女の子は、女子テニス部キャプテンになっていて、運動場のテニスコートで時々見かけました。どこで友達に広まったのか、私がその子のことに気があると噂になったことがあります。気を利かした彼女の友達が、私をテニス部の対外試合の応援に誘ってくれました。白いテニスウェア姿がまぶしかった残像は消えません。

同じ頃、私を好きになってくれた別の女の子がいました。小さく折りたたんだラブレターで告白されたことがありました。初めて男として認められたような、気恥ずかしさと嬉しさが混ざった気持ちでした。

下校時一緒に彼女の家まで歩いて行った景色は、今もはっきり思い出すことができます。彼女が作ってくれたお菓子を放課後の教室でかじりながら、週番が回ってくるまで話し合っていたこともいい思い出です。色違いのビーズの指輪を二人でずっと薬指にしていました。一緒に撮った写真もまだ持っています。

3年生を前にして、その後の進路を決めなければならない頃が来ました。クラス選択をどうするか二人でよく相談しましたが、結局別々のクラスを選ぶことになりました。私は理系、彼女は文系の進学コースでした。

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次回更新は9月14日(土)、21時の予定です。

 

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