第一章 神戸の再生

7 世界中の政治家が驚く都市改革モデルになる

日本の地方都市において世界中の政治家が驚く都市改革を成し遂げられます。

僅か50〜60年程の間に神戸市の繁華街が新開地から三宮に入れ替わりました。今の環境では神戸市は日本六大都市から弾かれてしまいます。

ここで疑問に思う事が有ります。何故、繁栄していた新開地と神戸駅が寂れたのか? 神戸市だから神戸駅周辺が繁華街と思い来神した旅行客も多いと思いますが……。

終戦後暫くはJR神戸駅が神戸で一番繁栄していた駅でした。神戸駅の海側には日本を代表する数社の重工業、造船所などが有り、通勤時間帯には多くの勤め人の乗降で混雑していました。

反対の山側出口を出ると湊川神社、市役所が近隣に有り、大阪ガスビル、賑わう交差点の一角には新開地一番のビル聚楽館が聳え立ち、神戸一番の繁華街でした。

当時は娯楽の新開地が有名で、新開地商店街を歩くと、劇場、映画館など軒を接して娯楽の殿堂でした。

商店街の裏筋には福原遊郭の名残の飲食店が並び、昼は映画館通り、夜は遊郭街が賑わい娯楽施設が一堂に集まったような場所でした。土日には家族と一緒に散策する人で溢れ、人込みで毎日が縁日のような感じでした。

今では神戸駅に降り立っても、えっ、ここが神戸の中心地と驚く程、寂しい街に変わりました。いつの頃からか、神戸の街の中心はJR三ノ宮駅を起点に変化しました。

三宮には、市役所が移転して、銀行、証券など金融関係、「そごう」現在阪急阪神百貨店、大丸百貨店、三宮センター街、元町商店街など、オシャレな物販を扱う場所が集約し、三ノ宮駅を中心に賑わっています。

50〜60年の間に経済の繁栄地域が大きく変わりました。

その理由は沢山あります。しかし、その原因を述べるより、神戸駅と新開地地域のように寂れないような、ポジティブな未来都市神戸計画を今、始めなければ、これからの50年で神戸は沈没してしまいます。世界中の国が驚く神戸活性化計画を、乞うご期待ください。