幸恵から何回か聞いた言葉だ。

母親の昭和の時代はそれも幸せの選択肢の一つだったのかもしれない。女はサラリーマンの男と結婚して子供を育て、夫の昇給や出世を喜び、長期のローンを組んで住宅を買う。

住宅双六などと言われたが、最初は木造のアパート、次に鉄筋コンクリートの賃貸マンション、頭金を貯めて住宅ローンを組んで分譲マンションを購入、当時は土地や住宅の値段が上がるのが当然だったので、マンションを売却して郊外に庭付きの一戸建て住宅を買って双六の上がりだ。

右肩上がりの高度経済成長期にはそんなコースも成り立ったのだが。

一九九一年のバブル崩壊と共にそのような人生モデルは成り立たなくなったにも拘わらず、社会の様々な制度や考え方は昭和のままだ。企業は相変わらず一括採用、一斉入社。以前は毎年昇給もしベースアップもあった。

だが今ではろくに上がらない給与にしがみ付いて定年まで勤め続けるしかない。それでも大企業のサラリーマンになった男をゲットするのが女の幸せなのか。税制も社会保険等の制度もサラリーマンの夫と専業主婦の妻、子供二人。世帯主は夫。

そもそも世帯主とは何だろう。

そんなことを考えていたら幸恵は小さな声でこう言うのだった。

「結婚したり、お金持ちのパパにお世話をしてもらったりするのが幸せだとは思わないけれど、女が一人で生きていくのはとても大変。結局立場の違いはあってもみんな男の人に頼って生きているんです」