「ママは、手術が終わり、熱も下がっている。少しずつだけど、元気を取り戻しているよ。彩ちゃんも無事で良かった」

私はそう言って、娘をそっと抱きしめた。

娘が通っていた小学校では、その日以降地震の影響で休校となり、しばらくは自宅で過ごさざるを得なかった。私は会社に行ったが、娘は残された家で一人、昼食を用意し、

「今日のお昼は、これを作って食べました」

と写真付きのメールを千恵に送る。それをそのまま私に転送する。私はそんな写真付きのメールを見て、娘がいつの間にか逞しくなったと思う反面、不憫でならなかった。手術後、一週間ほど経過し、退院することができた。少しずつ、普段の生活に戻りつつあった。

ちょうど、その頃から計画停電が始まった。私たちが住んでいた場所も計画停電の範囲に含まれていた。まだ肌寒い三月中旬、停電の時間帯はほとんど夕方から夜の時間帯であった。

病院は計画停電をしない。私は、千恵がずっと入院していた方が良かったのではないかと思ってしまったほどだ。

暖房を使用することができないため、何本かのろうそくの炎で暖を取った。私は、「そう言えば、結婚式でホテルからいただいた大きな長いろうそくがあったね、あれを使ってみよう!」

目盛りが書かれている。目盛りには年数が刻まれていた。千恵は、毛布にくるまりながら、

「これって、結婚記念日になったら毎年火を灯せってことだよね。いつまで一緒に火を灯せるかな?」

それから、しばらく無言の時間が続いた。

千恵は、がんを切除し、体調は良くなりつつあったが、いずれ死を迎えなければならないことを察知していたのだろうか?