午前九時二十六分。メールをしてから一時間経っただろうか。〈了解しました、後ほど行きます〉と、ようやく孝雄から返信があった。病室の番号を送ると、また〈了解しました〉と。結局、孝雄が病院に来たのは、それから二時間くらいしてからだった。

病室に入ってくるなり、ジャージ姿の私を見て、「着替えてこい」と言う。

ずっと義母に付いていてやりたいと思っていた私は、一瞬ためらったが、逆らわないほうがいいと思い、言われた通りに、いったん帰宅することにした。そうして家で着替えを済ませた頃、孝雄から電話があり、

「お前が来るのを先生が待っている」

と。状況を察して急いで病院に行くと、義母はすでに息を引き取っていた。

そこからはバタバタと、いろんな手続きや段取らねばならないことが多くて、あっという間に時間が過ぎていった。そして葬儀が終わったその日に、孝雄はさっそく「仲間に礼を言ってくる」と言って出かけていき、そのまま次の日の朝まで帰らなかった。

【前回の記事を読む】目を合わせることもなく、伝えたいことを何も理解しいていない夫...母の病態が悪化しても家に帰る時間は変わらなかった …

次回更新は7月19日(金)、20時の予定です。

 

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