知らぬが佛と知ってる佛

二度目の癌闘病記

『忘れるわけはないさ。そろそろわしの出番も終わろうと思っていた時だから。二月十七日よ。そもそも主が体調が思わしくないと気づき始めたのは去年の暮れあたりだったかな。

二月一日には、長男日出夫さん主催の主の誕生祝いで新橋の中華料理店に行ったときは、途中で息継ぎのため何度も立ち止まって休んでいたし、その時も、そして二十二日の銀座のレストランで開いた美瑛子さんの米寿祝いの宴でも、食思減退に加え、味を感じないと言ってコースの半分は孫の翔太君に手伝ってもらうほどだった。

十一日には十三年通い続けている茶事[夜咄し]の席に向かう道々、十三日は美瑛子さんの誕生日プレゼントに、駅の向こう側の花屋にバラの花束と、駅中のワイン専門店でハーフボトルのシャンペンを買いに出た時、十四日は顧問会社の主任研修会のリハーサル、十五日には障害者施設での診療(三十余年に亘り、君は当該施設入居者やデイサービス利用者に対し、リハビリテーションアドバイスや装具・車いすの処方を行っている)でも、いつもとは違って、妙に動悸と息切れを感じていたらしい。

フーフーいう声が聞こえたほどだ。一日置いた次の日、十七日はお前様と役割交代をした日だから、そりゃーはっきり覚えているよ』

『うん、そうそう。ドックで胃カメラ検査に進む前にドクター面接があって、貧血、二便目の潜血反応陽性、心雑音があることを指摘されたあの時だった。お前様と席が入れ替わったのは。

それにしても、毎年の長寿検診で潜血反応は陰性だったし、CEA(消化器の腫瘍マーカー)もずーっと陰性だったのに。科学的指標なんて当てにならないものだわい。

その結果と高齢とが理由で、二十五日に予約していた日帰りの大腸内視鏡検査はキャンセルさせられ、その代わりに入院の上精査をするように本院の外来受付予約を取ってくれた。

親切なドクターだと主と頷き合ったものだ。指定された二十日に本院の消化器外来を訪れたのだが、目下検査予約は満杯で、貴方の検査は五月の連休明けになると告げられた。主も、わしも二か月半も待たされると聞いて驚いた。

思わず“粘れねばれ”と主を突っついた。

「もう少し早くならないものですか」