彼女たちが泊まったという箱根の老舗旅館のゴミは、地区の温泉協会が管理するゴミ収集所に、月と木の週二回、出されることになっている。彼女が落とした時計も、他のゴミに紛れて月曜日にそこへ運ばれていったらしい。
あのように目立つものがなぜゴミと一緒になったのか? 優菜が言ったように、妬みを持った者の仕業ということもあり得るが……。
明くる火曜日、前日に宿から出た多量のゴミを、燃・不燃に分別していた作業員が、偶然にもその時計を見つけ出し、翌日、それを持ってわざわざ届けてくれたという。
作業員の話では、その日は朝からやけにスズメが騒いでいて、それは多分縄張り争いか何かで、二羽の若い雄がけたたましい羽音と共に激しく突き合いながら、薄暗い焼却場に飛び込んできたらしい。
まずもって、スズメのような野生の鳥が危険を顧みず仄暗い場所なんぞに侵入してくることなど、考えられない。しかも事もあろうに、追われた一羽が勢い余ってゴミ選別用の回転機のスイッチに体当たりをし、そのまま、激突死してしまったというのだから信じ難い。通常ではあり得ないことである。
すると大きなローラーは、軋むような不快な音を立てて止まった。彼が大量のゴミの中から、キラリと虹光を放つ小さな物体を見出したのは、その時だった。
明らかに普通のガラスには見られない、四方八方にときめきを放つ輝きは、彼をして大いに動揺させるものであった。急いで、それをゴミの中から取り出してみると、自分がこれまでに見たこともない、深淵なる光沢に満ち溢れた時計だった。
彼は、大いに迷った。近隣の旅館から出される山のような大量のゴミを処理する苛酷な労務に携わって数十年、そこそこの生活はできているものの、贅沢とは全く無縁の暮らし振りであったから……。(この予期せぬ拾い物で奢ったこともしてみたい)。
ふとそのような誘惑が頭を掠めていった。彼の迷いを断ち切ったのは、長年連れ添った妻の一言であった。
「あんたは顔も頭もいま一つかもしれないけれど、人様が二の足を踏む今の仕事に誇りを持って何十年も勤め上げてきた。もうそれだけで立派よ。誰からも例外なく感謝してもらえる仕事なんて、そうざらにあるもんじゃないし」
長年一緒にいれば、相手の粗ばかりが目に留まり、毒づき合う夫婦が世間の主流と思しき昨今、何十年も共に過ごした連れ合いから尊敬の念を抱かれる果報者など滅多にいるものではない。
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