ただ敢えて早起きの理由を挙げるなら、一つには単純に寝る時間が早くなったこと。つまり独身生活の気軽さ故に、自らの帰宅時間を強制的に遅くしていたネオン街の明かりが金銭的な余裕も含めてであるが、日常の行動範囲に含まれなくなったこと。そしてもう一つは最近よく見る「夢」が関係していた。
僕はバブル経済の始まりとされる年の三月末日で、それまで四年ほど勤めた会社を依願退職して母の住む故郷に戻ってきた。あれから二か月が過ぎようとしていた。
田舎の住人たちは押しなべて詮索好きなのである。
「佑(ゆう)君、戻ってきとるの? どうしたん。何かあったんか?」などと何かの拍子に戻ってきた理由を尋ねられると、「一人暮らしの母が心配やから……」と笑いながら答えることにしていた。
これが彼らの尽きない詮索好きと好奇心を、それ以上深化させない最も簡単な方法であることに気がついたのは、故郷に戻り一か月ほど過ぎた頃であった。実のところ二十五歳になった頃から劉廷芝の「年々歳々」や芥川の言葉にある「漠然とした不安」といった厭世感が、アメーバが増殖するように育ち始めた。
その理由の大部分は、従来から僕の心の底に居座って離れない怯懦(きょうだ)(生来の傷つくことにとても敏感で臆病な気弱な心持ち)というべきか、それに加え、年齢の割には多くの人の感情の裏側を、否が応でも覗きこむような職場で、四年余り過ごしたことが影響したのだと思う。結果的に勤めていた会社を辞め、母が一人で暮らす故郷に戻ってきた。