⑤マイナスをプラスにする―しごとで「社会貢献」

◎死んでいたS氏、バブルで生き返った

バブル時代、債務過剰で苦しんできた人などが生き返るチャンスだ。東京墨田区でメーカーを経営するS氏は、先代の事業を引き継いだが、過去からの多くの借金があり、資金繰りに追われる毎日だ。工場に行くと、補修費用も事欠き、建物や設備が老朽化していた。工場のところどころでは、従業員が車座になり、タバコを吸って、不安な表情でわたしをじっと見ていた。借金は7億円程度ある。

この状態では、将来よくなる見込みがないと思ったが、S氏は、その月を乗り切るため銀行に融資を申し込んできた。

「設備も古く、従業員も年をとっている。工場を売却するしかない」と言ったが、S氏は「もうお金は出ないのか」と真っ赤になって怒った。数日して、S氏は疲れ果てて、「土地を売ってもいい、何とかしてほしい」と頼んできた。

 

すぐに、土地の売却と新工場の物色に入った。すると、土地は大手マンション業者が坪300万円、総額15億円で買ってくれた。わたしが見つけた埼玉県の土地を購入して、新工場を建築した。工場用地も建築業者も予算内に収めるため、わたしが細部まで交渉した。

 

総額5億円で工場ができた。建築代金や土地代の支払いは、わたしの顔で、売却代金の受け取りと同時にしてもらった。新工場は、高速道路のインターチェンジからすぐそばにある。パートさん対策として、近くに大きな団地があるところを選んだ。新工場は、将来、貸工場にもできるように建物の構造を工夫した。

 

住居から遠くなり、辞める人には、売却金の一部で退職金を払った。代わりは、近くの団地のパートさんで補った。

従業員のリストラも同時にできた。退職金と移転費用で1億円ほどかかったが、借金を全額返済したあと、余った2億円で船橋市の環境のいい、駅から3分のところの10室ある収益マンションを買った(5棟10室=税法上、不動産事業とみなされる最低規模、税法上の優遇が受けられる)。

 

将来、空室にならないよう立地をよく考えた。設備や管理状況は、入念にチェックした。年間1200万円程度の家賃収入が入る。累積赤字、買替特例制度(東京から千葉、埼玉への移転が対象)で税金も発生しなかった。売却金額:坪300万円はバブル時代の高値だ。

しごとで関西にこられ、久しぶりに京都・祇園のお店でS氏に会った。「バブルがわたしを助けてくれた。感謝の気持ちで、江戸文化の保存活動に力を入れている」と嬉しそうだ。

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