彼自身も言っているように、「今のバッティングの基本は、小学生から中学生の頃にかけて形づくられたもので、決してプロに入ってからではない」と。

父・宣之氏の著書『父と息子─イチローと私の二十一年』を読み返してみると、小学三年生から中学三年生までの七年間の父と子のバッティング練習は、ほぼ毎日続けられたという。遊び心もあったろうが、そこには真剣な親子との死闘があった。

小学三年生で既にプロになりたいという固い決意のあったことが、どんな辛い試練にも耐えさせたのである。ものごとを継続するということは、後日、自分でも予想外の、そして想像以上の成果を生むものである。

幼少の頃からイチローは、大の偏食家だったらしい。後に愛工大名電高に入学するが、同校の野球部員は全寮制のもとで指導される。そこでは食べ物の好き嫌いは許されない。

今まで好きな物だけを食べ、我がままを通してきたイチローにとっては実に辛い寮生活だったろうが、寮に入ったことによって成長期の身体の基本ができ上がったのである。それまでは萌やしのようなヒョロ長い身体つきだったものが、卒業時には立派な大人の身体に成長していたのである。

寮の規律は厳しい。然も学業と野球を両立させねばならない。先輩、後輩の人間関係もある。凡てに於いて今までとは全く違った環境の中に飛び込んだのである。

しかし、この三年間にイチローは、宣之氏の想像以上に逞しく成長していったのである。ただ一度だけ、高一の春、入学して一ヶ月経った五月に帰宅した時「お父さん、ボク、野球やめたい」と言ったらしい。

その理由は今だに聞いてないらしいが「本当にやめたいと思っているのであれば、それはそれでいい。けれども、いままでやってきたことがなんだったのか。後悔先に立たずということわざがあるように、自分で考えるんだ」とだけ父は言ったようだ。

翌日イチローは、どういう心境になったのか、一言も言わずに寮に戻って行ったとのことである。あとにも先にも野球をやめたいと言ったのはこの時だけだった。

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