阿波踊りと狸
母方の祖父の法事が行われた。祖父は開業医であり、現在、医院は宏のいとこに当たる息子が継承している。宏が医師になったのは、この祖父の勧めによるところが大きい。
法事は終わったが、久しぶりの郷里なので、いとこに頼み、もう2日泊めてもらうことにした。医院の周辺は20年前と変わらず水田が広がっている。
水田を渡る風は冷たくて心地良い。宏は稲の育つ水田のあぜ道を一人で歩いていた。手には捕虫網と虫かごを持っていたが、虫を捕る気持ちはなかった。
子供の頃、夕方、誘蛾灯に集まる虫を見ようとしてあぜ道を歩いていたら正面から、今、水田から出てきたばかりというような、全身をぬらぬらと光らせた青大将が現われた。びっくりして家まで逃げ帰った。
蛇より宏の足の方が速く、事なきを得た。その時の記憶があるので護身用に捕虫網を持って出た。今度、現われたら、捕虫網で捕らえ、遠くに投げ飛ばすか、柄のところでひっぱたくかのどちらかだ。
捕虫網は納屋にあった。納屋には源平時代の物と思われる大鎧が3領ある。誰もいない納屋に入り鎧を見るのは何とも気味が悪い。さらに、白い大きな青大将が住んでいるという。
幸いなことに、何回か納屋に入ったことがあるが、青大将が出迎えに出てきたことはない。青大将に遭遇したことのある使用人の話によると青大将は、ニコニコと愛想が良く「こんにちは」と声を掛けてきたという。使用人は真っ青になり逃げ帰ってきたとのことであるが、この話を信用した者はいない。
古い納屋なので、使われなくなった物がしまわれているので探せば目的の物は見つかる。歩いているうちに用水路にぶつかった。幅は1メートル、水深は50センチメートルぐらいか、澄んだ綺麗な水がかなりの速度で流れている。
水路の内側は青い苔で覆われており水路の中に落ちたら、何かを掴もうとしても滑ってしまい立ち上がることはできない。大人でも落ちれば、運が悪ければ溺死するだろう。水路の綺麗な水の流れに見とれていた。目の前には澄み切った水が流れ、稲はあくまで青く、その稲に周りを取り囲まれ、自分は今、異次元の世界にいるような気分になった。
その時、右手から茶色い物が流れてきた。とっさに補虫網を用水路の中に差し出し茶色の物体をすくい上げた。網の中を見ると小さな子狸が気を失っていた。網から出し、温かいコンクリートの上に置いた。体は温かい。腹を触ってみたが水は飲んでないようだ。
意識はないが呼吸には異常がない。宏は体温で温めてみようかと思ったが、野生の狸の皮膚には寄生虫がいるし皮膚病もあるのでやめた。腰のベルトから手ぬぐいを抜き取り全身を拭いてやった。
狸は眼を開けて周囲を見回した。そして、声を出した。その声に誘われるように、体長70センチメートルくらいの狸が、ゼーゼーと息を切らして駆け付けてきた。