誰も声を出さない。自分の鼓動が周りに聞こえているんじゃないかと思った。照明が落とされ、演奏を終えた生徒が反対側の袖に下がっていく。ステージに出て、パーカッションの前に並んだ椅子に座り、譜面台に楽譜を置いた。

うす暗い中、正面の観客席には他校の吹奏楽部員がぎっしり座っている。学校の音楽室では五十人ぐらいの部員が、体が触れ合うくらいにくっついて演奏していた。

ステージは教室の何倍もありそうな広い空間で、いつも隣にくっついている塩谷先輩は五十センチ以上離れている。前のサックスとも一メートル以上離れている。後ろも風が吹き抜けるような空間があって、パーカッションの人たちがいる。天井は校舎の屋根ぐらいに高く見えた。

口の中はからからに乾き、声帯まで乾いて声だって出せそうもなかった。塩谷先輩が小さな声で「肩の力を抜け」と囁(ささや)いた。かちんかちんになっていた。けど、どうやったら抜けるんだろうと思っているうちにいつの間にか正面に立っている岩崎先生の指揮棒がさっと上がり、全員が一斉に楽器を構えた。

みんなはそれを待っていたのだろうけど、僕はみんなの動きに反射的に合わせただけだ。最初の音なんか出せる心の準備ができていない。岩崎先生の指揮棒が小さく動いてリズムの指示が示されてから左手が一緒にさっと動いて演奏が始まった。

楽器を支える左手は汗でびちゃびちゃだった。ピストンを押す指は譜面通り正確に動いていた。けれど、肝心な音は、トランペットのベルの先からスウスウと呼吸音を大きくしたような音が出続けていた。

パニック状態だった。これじゃいけない、いけないと思っているうちに課題曲の五分の一くらいを終えてトランペットが五小節の休符に入った。楽器を口から離して、やっと唇を湿らせなくてはと気付いた。

次の音はフォルテで入るし、トランペットが主旋律だし、練習で繰り返した所だ。ここで音を出さなければと思ったとたんにいつものように自然に唇を湿らせてマウスピースを当てられた。そして体が塩谷先輩と合わせてしゃくるように動いて最初の音が出た。

音色が音楽室で吹くのとは違って聴こえたけれど、自分の楽器から確実に音が出ていた。ここまで音が出なかった恥ずかしさと音が出せた嬉しさとで頬が熱くなった。背中は汗でぐっしょり濡れていた。

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※本記事は、2015年10月刊行の書籍『千恵ねえちゃん』(幻冬舎メディアコンサルティング)より一部を抜粋し、再編集したものです。