義経は小さく貧弱な体の少年だった。腕力も弱い。僧正坊はまず、まだ伸び切っていない少年の身丈(みたけ)に合った木刀を作ってやり、握り方や力の入れ方を教えた。少年の並外れた敏捷さを見抜き、崖を駆け上ったり切り株を飛び越えたりする修行もさせた。

山や谷の地形を一目見てその特色を掴む術、雲行きを見て風雨を読む術も教えた。剣術修行とともに、天狗の修行もさせたのである。

「あいつは……細っこい小さな小僧だったが、音(ね)をあげなかった。思い詰めたようなきつい眼をしてこのわしに食いついてきたよ。あんなに小さい子が、何かとてつもなく暗い物を見てしまったような眼をしていた。たとえ死んでもそれが何かを見極(みきわ)めたい。相打ちになっても構わない。と固く心を決めちまっているみたいで……わしに打ち倒されて気が遠くなりながらも木刀を振り回しているんだ。まるで……昔のお主みたいだったなあ」

僧正坊は団栗眼(どんぐりまなこ)を細めて笑った。

「真冬の鞍馬で、掛樋(かけひ)が凍り付いちまった時のお主の情けない面、今でも思い出すのう……」

西行は苦笑せざるを得なかった。

出家してしばらく、西行は都周辺に庵(いおり)を結んでいた。

世中(よのなか)()てて()てえぬ心地(こゝち)して都離(みやこはな)れぬ我身(わがみ)(なり)けり」

(世の中を捨てて出家はしたけれど、すっかり捨てることができない心地がして、いまだに都のあたりを離れていない我が身なのだなあ)

だがやがて西行は秘めた思いを断ち切るように山深い鞍馬の奥に籠った。

都ではずっと心を押し隠し、人目を憚って泣くこともできなかった。山奥の一人暮らしならば、ようやく禁忌の恋の苦しさに、思うさま泣くことができる。

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