第一章 嫁姑奮戦記
おばあちゃんの心のつぶやき
「もう退院してもいい状態と部長先生に言われたよ。良かったね。これからは杖のリハビリと、家にまだベッド来てへんから畳から起き上がる練習やら、せないかんね」と嫁に言われる。
杖の練習は相変わらずで、杖、杖と注意される。ちゃんとついているのに。
「せっかく退院許可が出たのに杖を使わんでこけて、また骨折したら大変でしょ」と言われる。寝転んで起き上がる練習も始めた。こんなことくらい今まで何ぼでもやってきたので、「こんなこと練習せんかて出来るわ」と言ってやろうとするが、どうもうまくいかない。
「今まで出来ていたのにどうしてやろ」と言うと、「骨折して出来にくくなってるのよ。ここはベッドやから問題ないけど、家のほうはベッドが来るまで当分お布団やから、ちゃんと練習しとかんと」と嫁に言われる。
今日はおむつを汚して公ちゃんに迷惑かけた。トイレに連れて行ってもろた時にはもう間に合わんかった。こんなこと初めてや。悪いなあ。
* * *
入院して七週間目の部長回診で、もう退院しても良いだろうとの診断が下る。
その日からトイレは車椅子を使わず杖で一般のトイレに連れて行く。大きなほうは急を要するので車椅子トイレの方だ。温水洗浄便座なので助かる。初めて温水洗浄便座のトイレに連れて行った時、「ここを押したら、オシッコが出るの?」と聞かれ、ギョッとしたが。
車椅子を使用するようになってからパンツ式オムツに替えたので間に合わないと厄介なことになる。胃潰瘍の薬を服用するようになってから便が軟らかいのでなおさらである。
ぼろ布と温水洗浄便座のお湯と市販のお尻拭きでうんちと格闘する。夫や娘もこれには往生したようだ。夫などは家に帰るが早いか上から下まで全部着替えて洗濯したとのこと。
「気色悪うてそのまま居てられるか」
物忘れのひどいのには呆れる。無呼吸のせいではと思い、精神科の診察の際、先生にお尋ねするとそうとも言えないと言われる。睡眠障害もひどいので、先生もどうしたら改善されるか模索されているようだ。
入院中は無理なように私には思えるが。先生もそう思っておられるのかもしれない。退院するまでに一度外泊して様子を見ようということになる。
その話を聞いてから妄想がひどくなる。私がトイレから帰って来ると姑がえらく深刻な顔をして考え込んでいる。これはまたとんでもないことを言い出すぞと思っていたら案の定、
「公ちゃん、うち、この工場辞めさしてもらうわ。気い使うてお給料もらうのしんどなってきたわ」と突拍子もないことを言い出した。
「え? 何のこと? おばあちゃん、おばあちゃんは今病院に入院しているの。ここ工場やないの。きっと、若い頃のこと思い出してるんやね」と言うと、「え? ここ工場と違うの? うちまたおかしなったんかいな」と首をかしげる。きっと看護婦さんの白い帽子や白衣が工場の作業着を連想させたのではないか。