当時はどんなに生活が苦しくても、涙に負けることはありませんでした。今こうして恵まれた中にいるのに、思い出はいつも涙を連れてやって来るのです。
映画が終わると、母と二人で夜道を歩いて帰りました。兄はフィルムの巻き戻しや次の日の準備がありすぐには帰れません。いつ家に帰って来たのか記憶に無い位、遅かったようです。
私は母との帰り道、坂下への道に掛かる頃、いつも同じ場所で不思議に足が動かなくなるのでした。ずっしりと鉛のように重く妙にだるくて、自分の足を前に出すどころか持ち上げることさえ出来ず、立ちすくんでしまうのです。そんな私を見て母は「また、足が動かないのかい」と言って、中学生の私を黙って負ぶってくれるのでした。
それは母を頼りたい私の気持ちと、娘に負担を掛けている母の想いが、お互いに気づかぬ中で感じ得た時間のようでもありました。毎日では無いのですが、何度も繰り返したのです。
その症候がたとえ、「少し身体を休めなさい」「もっと滋養のある物を摂りなさい」と言う警告だとしても、叶うはずの無いことでした。
動けないで立ちすくんでいる娘を負ぶう以外にないこの状況で、幸いにも母は身長があり大柄でした。それに比べて私は小柄でしたが、それは「火事場の……」のたとえを超えた母の必死な力だったに違いありません。
その頃私は、別の身体の変調も感じていました。それは学校で授業中の事です。先生の話を聞きながら黒板を見ていると、黒板の字が霞んで見えなくなるのです。霞んだ字を何とか見たいと凝視していると、自然に涙が流れて拭わずにいられないのでした。
毎日のことなのでとても気になり母に話すと、「真剣に見過ぎるんじゃないのかい」と言って心配する様子は無かったので、そのまま我慢していました。不思議な事に高校生になってからは、その涙は一度もやって来ませんでした。