「信長はこれまで何回か今川と小競り合いを繰り返してきた。尾張をほぼ統一したいまこそ、今川と決着する時期に来たと考えていた。
一方、今川は東の北条、北からは武田の圧迫を受けていた。また、時代の流れとして鉄砲の取り入れを必要と考えていた。そして信長と同じように常備軍の創設の重要さを感じていた。義元もそれなりに優秀な武将であった」
「戦国時代の領主は情報を取り入れることに力を入れ始めていた。最新情報の重要性を認知していた。だから今川義元も鉄砲と常備軍の創設の必要性を覚え、それに必要な資金の調達に苦心し始めていた。
結論として、西に進出し、三河湾のみならず伊勢湾交易を手中に治めたかった。それには鳴海城、大高城を支配したいま、熱田白鳥湊も手に入れる必要にせまられた。
資金調達の方策はこの戦略が一番良いと考えたからである。その義元の意中を汲んで逆手にとったのが信長であった。信長は、義元と正面きって戦えば勝てないと自覚していた。
そこで第一段階として鳴海城と大高城に付城を造り、出入りを封鎖し食料を差し止めた。今川は苦労して手にした鳴海城、大高城を絶対取られたくない思いであった。
信長はそこに付け入る道筋を見出したのであった。少数でも大軍に勝てる罠であった。信長でしか考えつかない戦略であった。信長はいくつか餌を用意した」
- 義元自ら桶狭間に出向くように仕向ける。
- そのための策略を立てた。義元を誘い込む手立てである。
- 松平竹千代に頻繁と連絡をする。
- わざと義元に知られるような繋ぎをする。
- 信長の意は義元と戦う際、手を出すなの一点であった。
- 実際に竹千代は戦闘時、大高城にいて戦闘に参加しなかった。
- 竹千代が裏切らないことを見届けたいため、疑心暗鬼となった義元は桶狭間に本陣を置くはめになった。このことが信長の術中にはまったといえる。
- 信長はこの瞬間、この一瞬が勝機とさとっていた。
館長の語りはさらに続いた。