今まで意識してなかったから。いつもババアと言っていたから。知ろうとしなかったから。当然名前など知るはずもなかった。
「ちょっと! みんなどいて!」
真紀がまた大きな声で言う。
「私すぐに、バーバラにこれ見せないといけないから!」
真紀はイラストを脇に抱え、猛ダッシュで走って行った。上級生の教室の前で、ポツンと一人残された果音は、恥ずかしそうに「どうも」と一言だけ言って、小走りでその場を去った。
バーン!
保健室のドアを、誰かが激しく開ける。
「ど、どうした?」
「ハアハア……」
そこには、仁王立ちの真紀の姿があった。
「バーバラ! す、すごい!」
「え? 真紀ちゃん、何が?」
「これ、果音ちゃんのイラスト!」
真紀はバーバラに画用紙を差し出す。
(あ!)
イラストを見た瞬間、バーバラは言葉を失う。
そこには日差しの中で微笑むバーバラが描かれていた。かわいいが、顔の特長やしわまで忠実に再現されている。ふと、イラストの下に書かれた文字が、バーバラの目に飛び込んできた。
小さくて決して上手じゃないけれど、一字一字丁寧に書かれた文字だ。
―いつもありがとう―
初めて聞いた言葉のように、新鮮にバーバラの胸に響いた。何度も、何度も目でなぞって、そっと囁いた。涙で文字がにじむ。
「ありがとう」
この言葉で全て報われる。
「ありがとう」は世界で一番素敵な言葉だ。
放課後、保健室に果音がきた。バーバラは正式に、保健室専属のイラストレーターになって欲しいとお願いした。果音は、首をただ縦に振った。