第六条 「手塩にかける」

集団保育でつく強烈なクセ

しかも、この子たちは、この心のクセによって自我が弱く、はかなく育ってしまうので、やがては低学力や不登校になる「芽」を内在させてしまうのである。

なぜ、そのような事が起きるかについては、私の前著、「母性革命」の「第五章 思考放棄」に詳しく述べているので、その一部を、ここに転載することにする。

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私は、かつて、第一子を妊娠中に、短い間だったが、学童保育でアルバイトをしたことがある。

そこは、個人が、自分の家で、自分の子供たちと、頼まれた子を預かっているところであった。保育所を卒業し、小学校に通っている子供たちのための、公立の学童保育が無かったので、母親の一人が、周りの頼みもあって、やっていたのである。

それは神奈川県下のことで、私は、その、預かっている子供たちの出身した保育所に、何の用事か忘れたが、何回か行ったことがあった。

その公立の保育所は、子供たちを、全く放ったらかしにしているようであった。五才位の子も三才位の子も集団のようになって、駆けずり回っていた。

一見、生き生きしているように見えるのだが、観察していると、年長の身体の大きい、外向的な、いわば、"強い子"が、全て、自分の思い通りにやっているのであった。

保育所の中では、食べ物の取り合いは無いと言える。食べ物の取り合いによる弱肉強食の争いは、まず、皆無と言えるであろう。

しかし、おもちゃや遊具の奪い合いは、頻繁に起こり得る。躾に方針を持っている大人が、きめ細かく指導を入れなければ、力の強い者が思い通りにふるまうことになる。

幼児にとって、目覚めている時間の大部分は「遊ぶこと」に費やされている。眠る時、食べている時以外は遊んでいるのである。

そのような状況の中で、常に、常に、力の強い子におもちゃや遊具を取り上げられたり、割りこまれたりしていれば、毎日は、辛い、つまらない日々の積み重ねとなる。

だから、同じ年齢でも、気の弱そうなタイプの子は、苦しそうな、悲しそうな表情の貼りついたような顔をして、集団の後にいた訳である。年齢差のある遊び集団が、日本の子供たちの中から失われたことが、子供たちの成長にたいへんマイナスだと言われている。

その通りなのだが、保育所の中で、年齢差のある子供たちを、勝手にふるまわせるのと、近所の子供たちの年齢差集団は、同じ物ではない。