第二章 渡来人に支配された古代ヤマト
7.ユダヤ系同士の覇権争い
次に御刀の本(もと)に著ける血も亦、湯津石村に走(たばし)り就きて、成れる神の名は、甕速日(みかはやひの)神。次に樋速日(ひはやひの)神。次に建御雷之男(たけみかづちのをの)神。亦の名は建布都(たけふつの)神。亦の名は豊布都(とよふつの)神。三神
ここにはユダヤ系の地名・神名が三つも出てくる。
湯津石村=YUTU-IHA-MURA → YUTU=ユダヤ
建布都神=TAKE-HUTU-NO-KAMI → HUTU=ユダヤ
豊布都神=TOYO-HUTU-NO-KAMI → HUTU=ユダヤ
「湯津石(ゆついは)村」は、ユダヤの石村(いわむら)の意であろう。HUTUはもう、これまでに何度もでてきているので、ユダヤ系の言葉としてはお馴染みである。このように、天孫・伊都軍の主将である建御雷には、ユダヤ系の特徴が顕著に出ている。
相手の出雲はというと、前著(『魏志倭人伝の中のユダヤ出雲大社に隠された「ダビデの星」』)で明らかにしたように、ユダヤ系首長の国であった。すると伊都国と出雲国との戦いは、ユダヤ系同士の争いではないか。実際に戦ったのは、騎馬民族首長の崇神とその将建御雷のグループが、出雲の大国主とその子事代主および建御名方のグループに相対したが、双方ともにユダヤ系であった。
出雲側にはもう一つ、大和の饒速日と長髄彦のグループがあるが、これもユダヤ系である。古代ヤマトでの戦いは、その上層部がユダヤ系で占められている、という結果になったが、どうも常識とは違う。史料的には一つ一つ積み重ねて、当然の帰結のように見えるが、本当に大丈夫であろうか。
出雲がユダヤ系首長の国であることは、スサノヲが大国主に呼びかけた声にも反映されている。大国主は、スサノヲの娘「須勢理毘賣(すせりびめ)」の入り婿であり、頼りにしつつ、スサノヲにはちょっと憎らしい存在であったことが、その叫びから理解できる。
婿入りのためには、舅スサノヲのさまざまな試練を乗り越えつつ、そして最後には、寝込んでいるスサノヲを騙して、スセリヒメと一緒に遠くに逃げるのである。追いかけたスサノヲが黄泉比良坂(よもつひらさか)まで至ったとき、彼の叫び声のなかに、出雲がユダヤ系である証拠を見ることになる。
故ここに黄泉比良坂(よもつひらさか)に追い至りて、遥(はるばろ)に望(みさ)けて、大穴牟遲神(おおなむちのかみ)を呼ばひて謂(い)ひしく、「その汝(いまし)が持てる生大刀と生弓矢をもちて、汝が庶兄弟(ままあにおと)をば、坂の御尾(みを)に追い伏せ、また河の瀬に追い撥(はら)ひて、おれ大國主神(おおくにぬしのかみ)となり、また宇都志國玉神(ウツシクニタマノカミ)となりて、その我が女(むすめ)須勢理毘賣を嫡妻(むかひめ)として、宇迦(うか)の山の山本に、底(そこ)つ石根(いはね)に宮柱(みやばしら)ふとしり、高天の原に氷椽(ひぎ)たかしりて居れ。この奴(やつこ)。」といひき。
最後の「この奴(やつこ)[此奴(こいつ)め]」という呼びかけには、大国主への愛情さえ感じられる。そして「おれ大國主神となり、また宇都志國玉神となり」というのは、「お前よ、大国主となって、またユダヤの国(出雲国)の王になって」ということである。