Ⅰ レッドの章

軍港跡の町

父が働くことになった国立病院は、戦前は海軍病院だったが建物は無事だった。敷地は広大で病院はコンクリート建ての本館と木造の八棟ほどのバラックから成り、その他に野球場、プール、テニスコート、用水濠などがあった。

建物の建っている敷地だけでも一万坪くらいあっただろうか。ただし戦前の整然とした施設の管理は消えていて、どこか荒れた印象だった。

僕たち一家にとってこの町は全く未知の町で、母はまずその田舎振りに驚き、かなり幻滅した様子だった。僕らの家は病院付属の官舎で野っ原にぽつんと五軒、板塀で囲われて建っていた。

南北に二軒、病院長と副院長の住居。僕たちの家は東西に三軒続き、各戸の敷地の広さは百五十坪はあったろうか。聞くところによると僕たちの住む官舎は戦前は佐官クラスの軍医の宿舎だったという。

平屋の木造家屋は広くて五十坪くらいあり、さらに庭が百坪以上あった。庭には大きな樹齢五十年はあると思われる桜の木があったが、毛虫がうじゃうじゃいて家族は皆閉口していた。

玄関横に女中部屋があったが我が家は残念ながら女中を雇える身分ではなかった。水洗便所も整備されていたが、和式便器だった。僕の通う学校で家に水洗便所のある子供は果たして何人いただろうか。

とにかく不便なところだった。周囲一キロ四方家らしい家はない。家の裏には僕たちが〝裏山〟と呼ぶ小高い丘があった。

そこにも畑はあったが人家はなく、僕たちの家はさながら陸の孤島といった風情だった。川向こうに集落があるだけ、近所付き合いといえば官舎の家族だけである。買い物に行くにも徒歩で片道三十分の道のりだ。

僕たちの官舎と父の勤める病院は、家の前を流れる元(もと)川と皆が呼んでいる川に沿って建っていた。川は縦に長く伸びており、行く手に橋があってその橋で町の中心へとつながっていた。

一方、家の前を流れる川の支流を奥に進むと精神病棟があるとやらで、寂しくて狐か狸でも出て来そうなその付近には誰も近寄らなかった。そう言えば一度僕は我が家の敷地の中に正体不明の白衣の男が立っているのを見たことがある。びっくりして母を呼びに行って一緒に戻って見ると人影は消えていた。

家は広かったが(おそらく僕の人生の中で住んだ最も大きい家だった)生活は原始的だった。医者の家と言っても衛生状態は他の家より勝っているとは言い難かった。