「前向き?」

「そうよ。人生って自分なりの目標を持って歩もうとしている人は周りからも歓迎されるものよ。私も負けられないぞ、と思うものね」

「私はただ『円い町』の町民になりたいだけなのよ」

「そう。その気持ちだけで充分なのよ。母さんだけじゃなく家族みんなも喜ぶと思うわよ」

母親は晴美を逞しいと思った。あぁ、ここまで我が子が成長したのだと思うと、心中は嬉しさで満ち溢れていた。夕食のとき、母親は家族みんなに晴美のことを話したのであった。

今日は週の初めの月曜日だ。書道に行く日である。前夜、晴美は明日は書道へ行くのだと思うと興奮が胸いっぱいに満ちてきて、なかなか寝つかれなかった。午後十時に床についたが、目が冴えて眠りの神さまが晴美の体に降りてこない。仕方がないので台所へ行った。

父親が晩酌するために買っている一升瓶の日本酒『美少年』に手が伸び、冷やで湯呑みにほんのお猪口一杯分ぐらい入れた。そして、ぐっと一気に飲み干した。晴美は父親譲りで飲める口を持っているとはいえ、その酒は喉が焼けるほど堪えた。

よし、これで大丈夫――。

日本酒は一種のお祝いである。床へ入ると、布団の横にある目覚し時計にちらっと目を遣り(その針は午後十時四十五分を指していた)、体を静かに横たえた。やがて心地良い睡魔に襲われた――。

翌朝、家族みんなが「頑張ってね、晴美の第一歩よ」というような無言の朝食の中、晴美の体に洪水のごとくもの静かな声援が押し寄せてきた。晴美は口をゆっくり動かしつつその声なき声を体ごと受け止めていた。

「行ってらっしゃい」

母は努めて軽く、自宅を出て行く晴美に声を掛けた。

「うん」

晴美は一瞬、強張った顔を見せたが、すぐにその表情を取り払い笑顔を作った。彼女なりに精一杯、母への言葉に答えたのである。

自転車にゆっくりと乗り、漕いだ。晴美の頭の中には何も考えが浮かばず、ただ緊張のみがどっと体を取り囲んでいた――。

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