強情者の箱王は気が短い。生来熱しやすく、激しやすい性格。思ったことはすぐに怒鳴り散らし、一途に思い詰める傾向があった。
「兄様、憎くなくて何としましょう。我らが人から侮られて、このように二人きりで嘆くのも、元はと言えば仇のためです! わたしは悔しくて我慢がなりませぬ」
この少年が強情を張ると、大人でも手に負えない。――屋敷の中には常に大勢の大人がいたけれども、箱王をなだめることができるのは、まだ九歳の一萬だけだった。思慮深く情の深い兄は、髪を撫でてやりつつ、言葉優しく言い聞かせる。
「それは違うぞ、箱王。兄の言葉をよくお聞き。仇を取るその時までは隠すものだ。心の中だけで思って、人の噂になるようなことがあってはならぬ。
箱王、明日から、兄と一緒に武術を習おう。弓矢持つ身(武士のこと)の第一の技能は弓矢なのだよ。父上は弓の達人で、鹿も鳥も見事に射たそうだ。我らはその父上の子なのだから……」
一萬にじゅんじゅんと諭されると、箱王も涙を拭いて頷く。小さい手を取り合って、兄弟は約束するのだった。
そして次の日から、兄弟は弓の稽古を始めた。連れ子の身分の二人は、武士の子でありながら、ろくに武具も揃えてもらえない。一萬は自分で二人分の弓矢を作らなければならなかった。九つの子供には大変な苦労だったに違いない。
……以上が曽我に伝わる逸話から分かる、曽我兄弟の生い立ち。曽我は、兄弟がためには第二の故郷。二人が朝(あした)に夕(ゆうべ)に手を携えて遊び、枕を並べて眠ったこの地には、その史蹟所々に多く、空を渡る鳥の音までが、彼らのための哀歌かと思われるほどである。
父を討たれてから四年。当時五歳と三歳だった幼児は、継父の家で冷遇を受けつつも、健気にも意志の固い少年たちに成長する。九歳と七歳の時より武芸も始め、二人は工藤祐経を討つために、一歩を踏み出したのである。
だがしかし――、兄弟のこうした努力は思いもかけず、母親との間に深い溝を作ってしまうことになる。曽我物語に、その時の事件のあらましが詳しく書かれているので、紹介しよう。