曽我兄弟、継父の元で育つ 兄九歳・弟七歳
かくて、さらに不自由な身の上となる曽我兄弟。
彼らは「生涯、ただの一度も兄弟喧嘩をしたことがない」とまで言われ、深い兄弟愛で名を知られることになるのだけれど――この幼少期の孤独で不自由な境遇が、二人の魂をかくも強力に結びつけたのかもしれない。
さて、母は二人を閉じ込めることで、「謀反人の孫が曽我に隠れ住んでいる」と、噂になることを防ぎ、かつまた、二人が近隣の人々にいじめ回されることから守ろうとしたのだったが……、しょせんそんな小手先の方法で、世間の荒波から兄弟を救うことなど、できるはずもなかった。
日陰者で厄介者の二人は、この後事あるごとに嘲笑と差別の対象となり、曽我家の下僕からさえも小突き回され、いじめ抜かれることになる。
彼らの受けた心の傷は、余人には計り知れぬ深いものであったに違いない。屋敷の外ではよその子供らが、その父から馬や武具を与えられ、思うさま走り回っているというのに――。ひきかえ自分たちは、家の外へ出ることすらままならない。
「まことの父上さえ生きておられたら、こんな目には……。これも皆、仇のために!」
悔し泣きして憤る弟に、ある日一萬は「せめて神様に頼ろう」と励ました。
「秦野の柳川に、不動明王様のお堂がある。不動様にお願いしよう」
願文を書き、二人でこっそり館を抜け出して不動堂へ走っていった。その願文の中身は、現代語訳にして以下の通りである。
「ふどう明王さま。われら兄弟は父を亡くし、母ばかりを頼み、楽しみもなく、他の家へ参りました。向かいの屋敷の平殿にいじめられ、乳母や下々の者にまでいじめられるのは辛いことです。家に帰り母様に言えば、いろいろと叱られ、せっかんにあいます。ただ悲しく外へも出ず、箱王と二人家にいて、ひたすら父のことばかり思い、まことの父のないゆえによそ者に笑われるゆえ、早く大人になって仇祐経を討ち申したく思います。
一まん ふどうさま」