心を伝え合う時間を持つ
私が、子供は可能な限り手元で育てた方がいい―保育所などに預けたりしない方がいい ―特に、乳・幼児期(三才位まで)は預けない方がいいと始終主張しているのは、手塩にかける時間が短くなるからである。
それから、もう一つ、これこそ最も重要な事なのだが、あまりにも幼い時に集団保育に入れると、子供の心に本人も親も気付かない強い「クセ」がついてしまうことが少なくないのだ。
「話しかける」「抱きしめる」「かなしい、うれしい……という気持ちを伝える」
このような、養育者が自分に向けてくれる言葉と想念の中で、幼児は、自分という存在が「受け容れられている」ことを感じる。そして、言葉や動作を介在として心を伝えあってゆくことを学ぶ。
この、細やかな目に見えない想念の行きかいは、幼児が健全に育つ上で最も重要なのである。ところが、いつも子供のことを心にかけ続けることは、養育者にとって重圧であり疲れることでもある。又、遊ばせてあげるのも努力なしにはできない。子供に、一緒に遊ぶ友達をつくってあげたくても難しい。
そういう閉塞的状態に居る母親が、保育所などで子供が集団で遊んでいるのを見ると、それが光って見えるのだ。とても良いもののように見えるのである。
しかし、実は、集団保育の場はその見かけとは違って、全ての子に「自由」に「楽しく」遊べる場とは限らないのである。
集団保育でつく強烈なクセ
保育所の方針やシステムの違いがあっていちがいには言えないが、放任的なところでは「強い子」が思い通りに行動し、「弱い子」は遊ぶこともままならない状態が日常的になっているのだ。
こういう中では、内向的な子は前章で述べた「考える→行動する→結果を手に入れて自信を持つ→次なる遊びを考える」という自我を形成するための道筋はたどりにくいのである。
生後、間もなくとか、ごく幼い時から保育所に預けられている子は、後ほど修正するのが難しいほど強烈で深いクセを、つくってしまうことが少なくないのだ。手塩にかけていれば起きることのない弊害である。