第六条 「手塩にかける」

「手塩にかける」という言葉は、最近、聞くことが少ない。「食べさせる」「着させる」と、いうような事が苦労なくできる社会になったからである。

おむすびを作る時、手に塩をつける。その塩加減が少なすぎるか多すぎるか"塩梅(あんばい)"に気をつける。そのような微妙な感覚が子育ての中から失われがちなのだ。

子供は、苦労をして育てなければいけない。手をかけなければ、どこかでひずみが生まれる。極端な例は「自閉」である。

「自閉」は遺伝子の異常とか、脳の酵素がどうこうとかいう学説があり、たいていの人は、それに"洗脳"されている。しかし、私は「自閉」は生後間もなくから一才位までの乳幼児期に、抱きしめて、可愛がって、話しかける事が少なかったために、養育者との「心のつながり」が作れなくて、「言葉」を覚えることを「必要」と感じないで育ってしまったために起きてしまう障害であると考えている。

少なからぬ数の自閉症児のお母さま方と、面談したり電話で話したりしているが、どの人も私の問いにこのように応える。

「そういえば、あまり抱いていません」

「そういえば、あまり話しかけませんでした」「そういえば、子供のことを心にかけるのが少なかったです」

「そういえば、子供のことより他に大変なことがあって……」「そういえば、おとなしい子だったので放っていました……」

そして、乳幼児期にするべきだったことを遅ればせながらでもすると、状態が改善されるのである。

しかし、私の体験では根本的に「直る」ことはなかった。

「自閉」の子を、直接看ている現場の人で、その人自身が育児体験のある人は、今までのところ私と同意見か近い考えの人ばかりである。

「学説」は机上のものだから、現実を生き、肌で感じている人の実感が、裏付けしてくれる理論もあれば、机上のものとしか感じられない学説もあるのだ。

「しょっちゅう抱っこしていましたよ。ブチュブチュ口づけしたり、いろんなこと話しかけたり、あやしたり……。四六時中このようにしていたのに、うちの子は自閉です…」という方はいない筈である。

「自閉」や「学習障害」は、赤ちゃんを手塩にかけなかった究極のひずみなのだと、私は考えている。