帰り道、西山はアルバイト専用のズボンを用意するとよいことを話してくれた。四時間とはいえ、数回厨房に入ると油や料理の臭いが染み付いて洗濯しても落ちなくなるという。

「ジーパンでええねん。古いやつがあったら、それでええんや。おっちゃんも店に来てズボンはき替えてはる。あとなあ、自分も髪長いやろ。タオルか何かで髪の毛が料理に落ちんようにせんとあかんなあ。俺も長いさかいタオルを鉢巻みたいに巻いてんねん」

西山は、明日アルバイトに入るから一度見に来るとよいと付け足した。

下宿に戻る道すがら、街道沿いの家々から灯りが漏れていた。日曜日の夕刻だ。みんな明日からの一週間に備えて呼吸を整えているようだ。

 

アルバイト見習いとして、西山と一緒に店に入ってから二週間ほどが経った。

初日に、「無藤君、何も難しいことあらへんからな。西山君をよう見て、早う一人でできるようになってな」とおっちゃんは言ったきり、仕事中はほとんど指図をしない。西山も必要以上に話さない。夏生が初めに覚えたのは、注文の受け方と餃子の焼き方だった。

夕飯時を迎える頃、店に客がやって来る。

「何しましょ」

西山の対応に、客は「天津飯と餃子」と注文する。

「天飯、餃子」

西山の発声に、おっちゃんが「天津飯」と低く復唱し、コンロに点火する。西山は八角の中華皿に飯を盛り、平たくならす。と、突っ立ている夏生と目を合わせてから、ヒョイと餃子焼器の方に視線を送る。餃子を焼くことが自分に振られたと気付いて、夏生は大きな業務用冷蔵庫から餃子が並んだバットを取り出した。

天国飯店の餃子焼器は鉄板製の長方形の鍋が左右に二つ並んだものだ。手前のコックを全開にして強火にしてから、夏生はバットから餃子を三つ、小指以外の四本の指で摘まみ上げ餃子焼器の鍋に並べる。黒い鉄板鍋に白い餃子が六つ縦に並んだところで、焼器の横に置いてあるサラダ油の入った薬缶を餃子の上で揺らす。十も数えないうちに、鍋の表面に垂れた油がチリチリと音を立て小さな球形の泡を作り始めた。

【前回の記事を読む】先輩が話す、中華料理屋のアルバイト事情。話している内に思惑が見え始め…。