店での美智子は、厚手の黒いエプロンに黄色い長靴姿だ。花屋の仕事にはこのスタイルが一番働きやすい。ユニフォームと決めたわけではないのに十九歳の有美が同じ格好をしている。茶髪を思いっ切りアップに結い上げ毛先を遊ばせ、金色のピアスがきれいなうなじの傍で揺れている。何よりも頬の輝きがまぶしい。
私にもあんな時があった。夫の孝介と出会ったころだけれど、ずっと昔のような気がする。
でも私は田舎の娘だったからあんなにおしゃれではなかったと苦笑する。ついでに山裾に広がるふるさとを思い返した。
五月に入って母の日が近づくと美智子はカーネーションより小ぶりのアジサイの鉢を置くことを提案した。日本の初夏には乾いた感じの花よりアジサイのみずみずしさが合うと思ったのだ。鉢を篭に入れたり、ラッピングをしてリボンを巻いたりしたのが次々とさばけた。
父の日を前にしては、小さな蘭の鉢を揃えた。蘭は足元が寂しいので葉物の鉢を一緒に篭に入れた。娘さんや奥さんに好まれた。
美智子の仕事振りには迷いがなかった。そこまで到達するには考えるのだろうが、いったん手をつけると次々に仕上がっていった。
六月の下旬になってガラスの水盤を店先に置いた。直径が三十センチで厚みは十センチもない。水を張り小石を置いてウォーターレタスを一つ浮かべた。いかにも涼し気でそこから夏が来たようだった。有美は売り物のウォーターレタスを桶に入れて水盤の近くに並べていた。
「良いわね、この鉢涼しげで」
後ろで声がした。いつも季節の花を買いに来るお客さんだった。
「この中にメダカを入れたらどうかしら」
「メダカくらいなら大丈夫だと思います。金魚はエアーが必要ですけど」
「やはりそうなのね。生き物は難しわね」
奥にいた美智子ができ上がった寄せ鉢を持って出てきた。話している客に、いらっしゃいませと声をかけた。
客は美智子と目を合わせ、うなずくでもなくそらすでもなく、すっとうつむいた。
「もし良かったら、水盤とウォーターレタスと小石と、お届けしますよ」
「ええ、お願いしようかしら」
「商店街の『およし』さんですよね、お店に届けて良いですか」
客はそこで言葉に詰まり、それから、そうね、お願いしますと柔らかい声で答えた。
美智子は、どこかで会ったことがあるような気がした。声と同じように、丸みのある柔らかい体つき。遠ざかってゆく姿を見送りながら、思い出せなかった。