四 アメリカ第二の故郷
ラジオに出たことがきっかけで、隣の町のコミュニティセンターから招待を受けた。「カルチャー教室みたいな講座で話をしてほしい。」と言う。あまり乗り気ではなかったが、せっかくのお誘いを断るわけにはいかないと思い、またのこのこと出かけて行った。
そこには、高齢の方たちが円になって座り、真ん中に一つ椅子を空けていた。そして、そこに座ると、「日本とアメリカのちがい」について話をした。
「日本とアメリカは逆なところが多い。例えば、救急車を呼ぶときの番号は、アメリカでは九一一、日本では一一九。車の運転席は、アメリカは左ハンドルで、日本は右ハンドル。もちろん通行も逆。アメリカのドアは引いてから入るが、日本のドアは押して入る。のこぎりは引いて切るのが日本、押したときに切れるのがアメリカ。高速道路の標識は、綠地に白の字と白地に綠字。極めつけは、トイレの水の流れの向きも逆だ。」
最後のトイレの話では、どっと笑いが起きた。
「これは、経験上の話だから、間違っていたらごめんなさい。」と言うと、
「いやいや、その通りだよ。」と感心してもらえた。
ここペナコックの町にも冬がおとずれるころ、ある男性の方から一本の電話が入った。木材加工業をやっている、三十代半ばの「ドナルド」という人だった。
彼は、グレーのGM社のバンで迎えに来て、自社の倉庫を案内してくれた。二人でコンコードの街で夕食を共にする。彼は、日本人のことをいろいろと質問してくる。
「なぜ日本はこんなに経済が発展しているのか?」
「どうして日本の電気製品は優秀なのか?」
「日本人は、まじめなのはなぜか?」
「写真を撮るときにいつも笑わないぞ!」
と矢継ぎ早に投げかけられる質問攻勢にたじたじになる。
そのレストランで、「うまいから食べてみろ。」と勧められて、注文したメニューが、「バッファローウィング」という、とても辛いチキンウィングだった。
額からは二重の汗が流れ出た。彼の質問に一つひとつ答えようとするたびに、自分がいかに日本のことがわかっていないかということが改めて知らされた。