それまでは、全く河島英五のCDを買うこともなく、ただ聴き流していた。番組では他にも久しぶりに聴くものがあり、歌から導かれるように、その頃を懐かしく思い出し聴いていた。しかし、河島英五の歌だけは別格で、感情が高ぶる歌であった。
その歌は、人間の男と女の悲哀を酒に絡めて、河島英五という人物像までを浮き上がらせ歌い込んでいるように聴こえた。そして、タマタマ入ったコンビニで、そのCDのアルバムを見つけて得意の衝動買い。車に録音後は、立て続けに全曲通しで三回ほど聴いた。
河島英五の曲は、自分の人生を酒に溶かしこんで、歌い紡いでいるようにも聴こえた。この歌い方などは、殆どのシンガーソングライターに共通しているような気がしている。河島英五の歌は、歌詞も分かりやすく、一番は曲が覚えやすいところが、とても気に入ってしまった。
脱線話を一つすると、一昨年倉敷市に行った折に、観光協会の事務局長さんと話す機会があり、局長さんが、自分としての今後は、「本物を求めていきたい」と言われていた。
この言葉は私にとっても金言となり、まさに河島英五の歌は人間の本質の内面にある弱さや辛さ悲しみを歌う「本物」さを、わずかこの一枚であったが、感じさせてもらった。
また、音楽の素晴らしいところでは、車に取り込んでいる音楽が自分のハンドルさばきとアクセルの踏み具合にも大きく影響していることを感じる時がある。
気分のいい時などは、アクセルも柔らかくなり、後ろから追随されても、殆ど制限速度の近辺で走れる。もちろんイライラと車に乗り込み走りだすと、その感情に振り回されるような時がある。
この経験は、多かれ少なかれ車を運転するドライバーには、誰しもあるだろう。車ほど感情がハンドルさばきに影響するものはないように思う。
感情が高ぶりイライラ感が増しているときなどは要注意である(車は日常生活に欠くことのできない非常に便利なものではあるが、反面非常に危険な乗り物でもある。いつでも慎重な運転を心掛けたい)。
このような時こそ音楽の出番である。私の感触ではイライラ感を沈めるときの音楽はクラシックが最適だと思う。ビバルディの『四季』などはぴったりである。
バイオリン楽曲が好きなので必然的にそうなってしまう。