第一章 壊れた家族
それでは、この人知れず行う解決方法とは何であろう。それを探っていこう。
沖ヶ島に店は2軒だけで、そのうち1軒は酒も扱う萬屋(よろずや)だった。昔は居酒屋もあって店は4軒あったが、現在は2軒のみ。
昨今の人口流出に歯止めがかからず人口は200人を切りそうな状況だ。この沖ヶ島から西方78キロメートルに浮かぶ、やはり絶海の孤島である青ヶ島村に次いでこの沖ヶ島村は人口の少ない自治体なのだ。
さて、その萬屋から祐一はいつも焼酎を買っていた。この焼酎は島焼酎といわれ、沖ヶ島で細々と製造されている。
明治時代に八丈島から製造方法が伝わった。八丈島は江戸時代、度重なる飢餓対策のため、貴重な穀類を使用する酒造りが禁じられていた。そこへ、薩摩より流人となって八丈島に流されてきた丹宗庄右衛門(たんそうしょうえもん)が、出身の地元、九州で作られているさつま芋を使用した焼酎の製造方法を伝えたことが八丈島の島焼酎の原点になっている。その製造方法が沖ヶ島に伝わったのだ。
祐一は、自宅にこの島焼酎を何があっても欠かしたことがなかった。
得体の知れない症状は、どんどん激しく祐一を襲うようになった。最初のパニック発作に襲われたのは、まだ10代の頃だった。
症状に苦しんだのは祐一がまだ実家にいた頃のこと。
症状の強さに耐えられなくて、わらをも掴むような思いで父親がいつも飲んでいた島焼酎を飲んでみると、酔った勢いで不安がふっと消えて不思議に症状が治まった。つまり自己判断で解決方法を見つけたのだ。解決方法といってもアルコールの持つ脳神経に働きかける力に頼ることになる。常識的に考えてまともな解決方法ではない。
ただ、この頃はまだ症状が頻繁にくることはなかったので、まだ絶望とまでは至らなかった。それ以来パニック障害が顔を覗かせる度に飲酒して乗り越えてきた。実は、祐一の父親は酒害がもとで、祐一の結婚式の寸前で亡くなっている。
祐一はそのパニック障害を新妻の智子にも決して伝えることなく、結婚して新居を建てた。家を建て独立して長女恵理が生まれた。一見して順風満帆に見える一方で、パニック障害の症状は徐々に、そして激しく祐一を苦しめることになった。