ところで昨今、芸能人や有名人にも抱える人が増えてきたこのパニック障害だが、特に体の病気がないのに突然、動悸・呼吸困難・めまいなどの発作を繰り返し、そのため発作への不安が増して外出などが制限される病気といわれるが、患者の数だけ症状があるといわれるぐらいいろんな症状があるともいわれている。

つまり、ある日突然症状と共に、強い不安・恐怖が起こるのだ。その後、「発作がまた起こったらどうなる? どうしよう?」という予期不安が特徴的な障害だといえる。そういう意味では確かに祐一の症状はパニック障害の側面も持ち合わせている。

祐一は、またパニック障害になった時、また飲酒に逃げればいいと、常に肌身離さず度数の強い酒を所持するようになった。何故、度数が高い酒かというと、すぐに酔わなければ間に合わないからだ。とにかく、パニック障害によってもたらされる強い不安感、恐怖感を瞬時に逃れたい一心でやむを得ず取る手段なのだ。

ともあれ、祐一自身が考案した解決方法により、ここまで何とか乗り越えることができたのだが、飲酒で脳を麻痺させるぐらい飲むなんていい訳がない。

ついに、この祐一のパニック障害で、人生の取り返しがつかないほどの状況に追い込まれてしまうという事件が起きてしまったのだ。

もともとこの絶海の孤島には、1か所だけ僅かな入り江があったため、小さな漁港ができたので、令和の時代になっても先祖代々漁業を営んできた漁師がいる。昭和初期に防波堤が造られ、安定的に漁業ができるようになったのだ。ただし、小さな入り江のため小さな漁船しか繋げられない。そして太平洋にポツンと浮かぶ島である。時化(しけ)で漁に出られない日は多かった。

祐一は苗字が小川という。同じ島の智子と結婚し、長女恵理と、次女結衣という子宝に恵まれた。ところが、もともと体の弱かった結衣は僅か3歳で亡くなってしまった。祐一智子夫妻は、一人っ子になった恵理を精一杯の愛で育ててきた。そして、恵理はすくすく育ち、小学校4年生になった。

ある日、祐一は普段通り、自己所有の漁船のエンジンをかけ、もやいを解き、外海へ出ようとした。

防波堤内では波はほとんどなかったが、防波堤を越えて進んでいくと天気予報より遥かに高い波が襲ってきた。しかし祐一は「そんなことにこだわっていて漁師ができるか!」と、引き返すことは全く考えていなかった。そして沖ヶ島が見えなくなるまで沖に出ていった。魚群探知機は、魚群を示した。

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