第一章  不運

西純さんはわたしの表情を窺(うかが)いながら、別のことを聞いてきた。

「会社の寮で生活してたの?」

「はい」

「食事はきちんと出てた?」

「はい」

「かなりきついノルマがあったんじゃない?」

「いいえ」

最近は、むしろ仕事は減りつつあった。

「工場で、監督の人に暴力をふるわれたりすることはなかった? 具合が悪くても無理矢理働かされたり、いやがらせをしてくる社員がいたり、罰として給料を減らされたりとか」

「いいえ」

わたしは質問に答えながらも、西純さんの口元が気になった。ときどき、妙に歪むのである。

「でも、工場で働いていたら、ずいぶんつらいこともあったでしょう。城屋はいろいろあこぎなことをして、儲けてたそうだから。いやな社員もいたんじゃない?」

西純さんはいかにも思いやりのありそうなことを言ったが、わたしはなんとなく変だと感じた。悪口が交じっているからである。

「働くのは大変ですけど、わたしのような者は、つらいからといって辞めていては、生きていけません。でも城屋の工場は、週刊新聞の記事になるような、問題のある所ではありませんでした。わたしはもっときつい仕事や、ひどい所を知ってますから。それに、いくらきつくても給料が安くても、仕事がないよりはましですし……」

「そういう世の中を、おかしいと思わない?」

「……世の中って、そういうものなんじゃないですか?」

「そんなことないよ。君たちが貧しくて苦しい思いをしているのは、社会のしくみがまちがっているからなんだ。社会のしくみが変われば、君たちはしあわせになれるんだ」

……わたしはなんとも言えない気分になった。こういうことを言われるとは思わなかったし、君たちはしあわせになれるって、まるで工場で働いていたわたしたちが不幸みたいではないか。

それに、いかにも同情するようなことを言いながら、この上から見下ろすような、いやな感じはなんだろう。わたしが話に乗ってこないので、西純さんはやや不機嫌になったが、わたしはそ知らぬ顔をしていた。

西純さんは少しの間、わたしの顔を見ていた。しかし、わたしの表情がまったく変わらないのを見て、軽いため息のようなものをつくと、

「いろいろ聞かせてくれて、ありがとう。ところで君、病院を退院したらどうするの?他の工場で働くのかな」

と聞いてきた。そっけない口調に変わっていた。