五輪を招致していることは理解していたが、まさかそこに自分が深く関わることなど想像していなかった。

ただ、これからの生活をどうするか模索していた時期でもあり、フェンシング以外の活動も積極的に取り組むようにしていた。

実際にロンドン五輪を終えた直後に東京・銀座で行われたメダリストによるパレードにも約50万人という人々が集まり、五輪招致に向けた熱の高まりも感じていたし、1人のアスリートとして自国開催は夢でもある。

アンバサダーとして関わるのも新しい挑戦で悪くない。太田と同様にアンバサダーの就任を打診されている他競技の錚々(そうそう)たる選手が並ぶリストを見た時、漠然と思った。

どうせ引き受けるなら、最後のスピーチ、プレゼンテーションをやってみたい。

アンバサダー就任を引き受けると決めてからは、選手として大きなターゲットとなる試合で勝つことを目指すように、東京に五輪を招致するために何ができるか。

自分が果たすべき役割は何で、最後にスピーチをするため必要な要素は何かを考え、準備を重ねた。

アンバサダーとはいえ現役選手であれば、当然ながら自らの練習や試合に向けた準備に費やす時間もある中、太田は英語の勉強はもちろん、IOC委員が集まる場へ東京五輪招致委員会の一員として自ら足を運ぶ時は、積極的に声をかけて回った。

現会長で当時IOC副会長のトーマス・バッハは元フェンシング選手でもある。会場で姿を見かければ近づき、他愛ない話から東京で五輪を開催することにどれだけの意義があり、いかに魅力的か。身振り手振りを交え、コミュニケーションを取る姿に日本国内のみならずIOCメンバーからも「彼はアスリートと思えない行動力、営業力がある稀な存在だ」と認識され始める。

並行して、スピーチに向けて準備も重ねる。大半が英訳、仏訳したスピーチを紙に書き、読みながら話す中、太田は丸暗記して臨んだ。

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