条件によって生じるということを、シナ人は〈縁起〉と表現した。〈縁(よ)りて起(おこ)る〉と読む。凡てのものは因縁によって生じ、因縁によって滅する、ということである。

アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタは既に亡くなっていた。ゴータマはコンダンニャ達のいるヴァーラーナシーのミガダーヤを目指す。ここは現在、サールナートと呼ばれているので、本書では、以下、サールナートと表示する。

ブッダガヤーからサールナートまでは約250kmある。サールナートはゴータマが最初の説法を行った初転法輪(しょてんぽうりん)の地として、仏教の四大聖地の一つである。

ツアーでは中田たちは近くの駐車場でバスを降り、遺蹟が並ぶ広大な公園に入った。遺蹟は紀元前3世紀から紀元12世紀にわたるという。

一際目につくのが、高さ32m‌の巨大な円錐形状のダーメークストゥーパである。近くにあるのは僧院の遺蹟であるという。

中田たちは、通称「日本寺」と呼ばれる転法輪寺(てんぽうりんじ)に入った。スリランカの大菩提会によって1931年に建設された寺院だそうである。内部壁面に、日本画家の野生司香雪(のうすこうせつ)画伯の釈尊伝が描かれている。

正面には金色の仏像が坐している。ダーメークストゥーパの西北にアショーカ王の石柱があった。今あるものは直径約70cm高さ約2mの基部にすぎないが、かつては約15m‌の高さがあったという。四頭のライオンがいる柱頭は、現在、サールナート考古博物館に納められている。

サールナートには、コンダンニャたち5人に法を説く、坐したゴータマの人形が、ほぼ等身大で作られ、屋根を持った台座に置かれていた。

ゴータマの前には、一段低い位置に、半円形に、5人の人形がゴータマと向き合って坐している。その近くでは100人は下らない、アジアの僧侶たちが坐して集会を開いていた。サールナートの遺蹟の出口からそう遠くないところに、サールナート考古博物館がある。

中田たちは博物館に入った。第一室の中央に、アショーカ王石柱の頭部があった。人間の背丈より少し高いくらいで、4頭の獅子が背中合わせになっている見事なものである。インド共和国はこの獅子を国家の徽章(きしょう)として採用している。

博物館には、この地で出土した仏像の中の最高傑作といわれる、初転法輪像がある。砂岩でできていて、5世紀のものだそうであるが、確かに美しい。静謐と深い精神性を感じる。

紀元前428年頃、35歳のゴータマは、自分が発見した理法をコンダンニャ達が納得するかどうか、期待をもってサールナートにやってきたと思われる。幻影が中田に入ってくる。

【前回の記事を読む】「苦行には何の利益もなかった」ブッダは一人の娘と出会い、苦行から離れたのだった。