第二章
三
「…明け方の明るい星が出ている。星は朝が近付くと一齊に消える。消える条件となったからだ。わたくしは生まれる条件が揃ったから母から生まれたのだ。条件が揃わなければ、わたくしは生まれることがなかったのだ。
わたくしは物の成り立つ様(さま)に気が付いた。世にあるものは条件に縁(よ)って生じるのだ。だから変化してやまないのだ。
『ゴータマさま、ゴータマさま』
女の声にわたくしは目をあけた。乳粥を持ったスジャータであった。
『よほど嬉しいことがありましたのね。そんな幸せそうなあなたのお顔を見たことはございません。教えて下さいませ。わたしにも分けて下さいませ。』
スジャータは乳粥を置くと翻えすように去っていった。
条件に縁って生じるという、その条件を、わたくしは変えることができない。世にあるものは条件によって変化し続けるだけのもので、自分のものとすることは出来ない。
過ぎ去ったことは今はどうにもならない。先のことは、まだ来ないのであるから、今はどうすることもできない。目の前にある今のものだけが、わたくしが関わることが出来るものということになる。
わたくしはアーラーラ・カーラーマの凄さと、わたくしの未熟を知った。師はかつてわたくしに言った。
『自分に属するものは何もない。世間に対する欲望を捨て去って、無一物に徹することだ。』
欲望の対象は条件に縁って生じ条件に縁って滅する無常のものであるならば、そのような不実な、当てにならないものに執着することは、理(ことわり)を知らない愚か者ということになる。
変化してやまない、有りの儘の目の前のものに対処するしか、生きる道はない。その中で安らぎとは何か、求めるしかない。
また、わたくしはウッダカ・ラーマプッタの凄さと、わたくしの未熟を知った。師は、かつてわたくしに言った。
『考えるのではなく、考えないのでもなく、心を静めて自分に集中していることが大切だ。』
これは妄想することなく、今の目の前のものを観ることに心を集中して、それに対処するということである。わたくしはピッパラ樹の下で幾日も過ごした。
〈世にあるものは条件によって生じる〉という、わたくしの発見した理法は、間違いないであろうか。アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタが、わたくしの発見し
た理法を認めてくれれば、わたくしは自信を持って、コンダンニャ達に話すことが出来る。
彼等が理解し納得してくれれば、わたくしは再び、得がたい友を持つことになる。」