第一部 銀の画鋲
「牧師の奥さん」
しばらくあとに、アンジェは大陸の牢獄で病死した。
僕がこの島に来る前のことだ。
どうしてカトリーヌは牧師夫妻のもとを去らなかったんだろう。
僕はピンときた。
カトリーヌにはやっぱり目的がある。
果たしたいことがある。
「リュシアン、そんなに目を光らせるんじゃない。
お前の目の光はわしでもゾッとすることがある」
昼間からウォッカを飲み始めたワルツさんは僕の耳元でそう囁いた。
黒い森の樹は一年中、色を変えない。
冬になっても春になっても黒い口を開けている。
牧師夫妻が本屋を訪ねてきた日から、僕は黒い森に頻繁に出かけるようになった。
気持ちを落ち着かせるために、ここに来る必要があったんだ。
カトリーヌがあと五日で島を出るというその日は、鉛色のいくつもの雲が空からぶら下がっていた。島全体が重苦しいものに閉じ込められていた。
僕はこの日、黒い森をいつもの何倍も歩いた。
オニモウセンゴケの誘いにも乗らないで、頭を空っぽにするために僕は黙々と歩いた。知らないうちに黒い森の一番奥のもうひとつの「森」の入り口に立っていた。
ここから先へは一歩も足を踏み入れたことはない。