しかし、当時の病院は今のように衛生的ではなかったため、手術の際に輸血後肝炎を患うはめになりました。その後は入退院の繰り返しで、約3年間はまともに仕事ができませんでした。まだ小さかった私は、祖母の家に里子に出され、寂しい思いをしたことを覚えています。

こうして、家相のおばあさんが忠告した通り、体に2度メスが入るという衝撃的な経験から、さすがの父も考え方を変えました。目には見えないけれど存在する自然の法則、風水家相の世界に目を向けるようになったのです。

そうすると、これまで見えなかったものが見えるようになり、一本の筋が通るのを感じたのです。間違いなく私たちが地球で暮らしていく上で、逆らえない自然の法則が存在しているのだということを知りました。

父のケースばかりでなく、家の解体や移転にともなって不幸が続く事例は数多くあります。長年住んでいた家を壊した後に亡くなられる方がいたり、道路拡張で家を壊された後に町内中に忌中の札がずらっと並んだり。

意識して見ていくと、あなたの身近でも起きていて、実は思い当たる経験があるという方も少なくないのではないでしょうか。

私と風水家相

父の影響で風水家相をとても身近に感じながら過ごしてきた私は、物心つく頃には、遊びの一部のようにして、風水家相学という学問に触れていました。風水の星が描かれている暦を眺めては将来の計画を立てたり、頻繁に部屋の模様替えをして自分のイメージに合う空間づくりをしたり。

父は仲間と共同で住宅設備の会社を立ち上げ、とても忙しい毎日でしたが、平日の夜や週末には風水家相を研究し、自宅で鑑定や教室を行っていました。私も小学生の頃には、教室の一番後ろの席に母と座って、ノートに落書きをしながら、門前の小僧がお経を聞くかのように過ごしていたのを覚えています。

大学では大好きだった美術を学び、卒業後はインテリア関係の会社に就職しました。ちょうど世間では風水ブームが起き始めた頃で、周りから風水のアドバイスを求められることもありましたが、当時の私には現場の経験もなく、応えることができませんでした。

幼い頃から身近に感じていた風水の価値を改めて知る機会となり、父の下で一から勉強を始めようと決心しました。実際の家づくりに携わる中で、やはり専門的な知識が必要だと感じ、夜学に通いながら二級建築士、インテリアコーディネーター、宅地建物取引士の資格を習得していきました。