「清洲城時代は信長二十三歳から三十歳までの約十年です。この時代もさらに壮烈な運命が待ち構えていました。やはり時系列で説明します」

北野優の説明も緊張感をただよわせていた。

信長青年期、総決算の時であった。

   《信長 青年期・清州城時代》

 弘治元年   二十三歳  道三、長男義龍と戦い討ち死にする。

 弘治二年   二十四歳  弟信行一派と争い信行を殺害する。

 永禄二年   二十六歳  尾張全土を掌握する。

 永禄三年   二十七歳  桶狭間で今川義元を討つ。

 永禄五年   二十九歳  松平元康と清洲同盟を結ぶ。

 永禄六年   三十歳   小牧城を築き清洲城から移る。

「清洲城時代も運命的要素が詰まっていますね。でもそのなかでは桶狭間の戦いは一番の出来事でしょうね」

いつも冷静な悠子も声がうわずっていた。

「信長にとって最初の大きな関門といえます。この戦いは本当に多くの方々の見方、解説があり定着していません。調べれば調べるほど混沌としています」

優は困ったように言った。

「わかったわ。この件はそれなりに調べて館長の裁可をいただきましょう。私たちでは荷が重過ぎます。かといって、避けて通れないと思います」

そういうことで基本調査を済ませてから館長に意見を求めた。

中川館長はゆったりした館長室の自席に座りご機嫌な様子であった。

「先日市長に呼ばれてね。それで調査の状況を説明しておいた。少し脚色したら喜んでいた。まだ先は長いので喜ばしておいた方がよいと思ったからね」

館長は余裕たっぷりに言った。続けて言った。

「今日は桶狭間の件か。これは私も勉強した。君たちの考えを聞きましょう」

「北野が要点をまとめましたので報告します」

そこで北野はまとめたものを提出し読み上げた。

   《桶狭間の戦い 要点》

一、兵力 今川側   二万五千人 前後

     織田側   三千人   前後

二、城、 今川側  鳴海城 大高城

三、砦  織田側  (鳴海城付城) 丹下砦 善照寺砦 中島砦 鷲津砦 

          (大高城付城) 丸根砦 正光寺砦 向山砦 氷山砦

四、戦場までの時間 

  今川義元本隊 五月十二日 駿府出陣 

         五月十六日 岡崎城入城

         五月十九日 桶狭間に着陣

  織田信長   五月十九日 午前八時 熱田神宮戦勝祈願

               正午 善照寺砦集結

五 戦闘状況

   五月十八日 松平元康 兵糧持参し大高城入城

   五月十九日未明 今川軍 鷲津砦、丸根砦を急襲し陥落させる

           午前 織田軍佐々木隼人、千秋四郎三百人が挑み討死 

           十三時 織田軍中島砦を出て義元本陣に向かう

           十四時 義元を討ち取る

北野は簡潔にまとめていた。

調べた資料は何十倍もあったが、不確かな部分は省いていた。

北野の報告書を見ながら中川館長が話始めた。

【前回の記事を読む】近所の子供を集めて戦ごっこ…。織田信長は吉法師の頃から戦を学んでいた!